第2回 秤動の観測

月の秤動観測

前回、秤動は幾何(光学)秤動と物理秤動に分けられることを説明しました。月の幾何秤動とは、月の公転運動や地球の自転運動のため地球表面から見た月面の中心位置が周期的に変化する現象をいいます。これは月が一定の速さで自転していても現れる見かけの現象です。月の物理秤動は地球の重力トルクのため、本当に月の自転スピードや回転軸が変化する現象です。月を双眼鏡や望遠鏡で観察すると、秤動のため模様の見え方が時期によって若干変化していることが比較的容易にわかります(図1、[1])。幾何秤動には、東西方向の経度秤動(±約8°)、南北方向の緯度秤動(±約7°)、地球自転に伴う日周秤動(±約0.5°)がありますが、物理秤動は±約3分角(±約0.05°)と非常に小さく図1のような変化はほとんど幾何秤動によるものです。

図1

図1 月の秤動のようす
credit:  W.s.w.p. CC BY-SA-3.0

今回は主にこの月の秤動(幾何秤動+物理秤動)の観測や予測について紹介します。素朴に考えると月秤動は図1のような月面の模様変化を連続して記録し、1つの月面固定点(月面経緯度(0°,0°)など)の位置変化を観測すればわかるはずですが、地球大気のシンチレーション等により精度に限界があります。現在では月レーザ測距(Lunar Laser Ranging; LLR)、超長基線電波干渉計(Very Long Baseline Interferometry; VLBI)、その他の高精度観測をもとに作製された「天体暦」から月の公転/自転及び地球自転のデータを読み出し、より高い精度で月の秤動を再現するようになっています。

天体暦とは、太陽、月、惑星など太陽系の主だった天体の位置や自転、天象(日食、月食、出没など)が記載されたデータブックのようなもので、最もよく使われるのが米国ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory; JPL)編纂のDEシリーズで最新版がDE440/441です[2]。天体暦のデータは太陽系主要天体の運動を力学法則に基づいた数学モデルで計算します。この数学モデルには天体の質量、形状、潮汐、内部構造、一般相対論効果などを表す定数(パラメータ)が含まれます。月についてはマントルと流体コアの2層構造としてそれぞれの物性がパラメータに入っています。この数学モデルのパラメータを決定するためには精密な観測が必要であり、LLR、VLBI、惑星探査機による測距、星食や掩蔽観測などが行われています。

天体暦の中でも月の公転/自転と地球の自転のパラメータ決定についてはLLRとVLBIの役割が非常に大きいと言えます。VLBIは約20億光年以上も遠方にあるクェーサー(Quasar; QSO)という点状電波源を地上の複数の電波望遠鏡で観測する技術で、電波の到着時間のずれから地球の自転と自転軸の変動、さらに地球のプレート運動なども高精度で決定することができます[3]。LLRは文字通り地球上の観測局から月面上の逆反射板(Retroreflector)にレーザ光を発射し、その往復時間を高精度測定して距離に換算する技術です[4]。LLR用の逆反射板は1969年米国アポロ11号の月面着陸時に設置され、以後14号、15号、旧ソ連のルナ17号及び21号の月面車ルノホート1及び2号搭載の計5個が月面上に展開されています(図2、[4][5][6])。ちなみにLLRのターゲットを月ではなく人工衛星にしたものを衛星レーザ測距(Satellite Laser Ranging;SLR)と言いますが、SLRの地上局は約40あります。これに対しLLRは戻ってくる光が大変弱く検出が困難なため地上局は世界で米、仏、伊、独などの数カ所に限られています。それでもLLRはアポロ11号以来半世紀以上途切れることなく現在も続いており、測距精度は観測局によっては数ミリメートルに達しています[6]。

図2

図2-1(左) 月面上の逆反射板(Retroreflector)配置(5ヵ所)ILRS Webサイトより [4]
図2-2(右上) アポロ14号着陸地点の逆反射板  [5]
図2-3(右下) ルナ17号搭載ルノホート1号の逆反射板 (Murphy et al., Rep. Prog. Phys. 76, doi: 10.1088/0034-4885/76/7/076901. (2013)より) [6]

LLRの信頼性は最新の天体暦で予測される疑似LLRデータと、実際のLLRデータの差で評価されます。図3でわかるようにLLR開始時から十数年間では最大数十cmありますが、1980年代半ば概ね1/3になり、最近ではわずか約1.3cmまで小さくなっています。これは時間幅が短く高エネルギーのパルスレーザが使われるようになりパルスの戻り時間の計測精度が向上したことと数学モデルの精度も向上してきたことによります[2]。

図3

図3 LLRデータからDE440による疑似LLR測距データを差し引いた残差の履歴。LLR開始時から50年分をプロットした (Park et al., AJ 161 105, doi: 10.3847/1538-3881/abd414. (2021)より) [2]

 

月以外の天体の秤動と観測

秤動は地球と月だけの現象ではなく、地球→“惑星”、月→“衛星”のように拡張すれば太陽系内で広く見られるだろうと予想できます。しかし今のところ人類は地球以外の惑星に恒常的な観測地点を持ってないので秤動の観測データは無いはず…。確かに図1のような画像を連続的に撮ることはできません。ただし惑星探査機の画像データや軌道/姿勢データをある程度まとまって取得できれば、秤動の原因である“衛星”の公転/自転を決めることができます。

この解析で重要なのは“衛星”の自転運動の予測からのズレ、すなわち物理秤動を決められることで、月と同じように内部構造や物性の推定も原理的に可能です。ただし天体暦で扱っていない“衛星”では、適切な仮定を置いて“衛星”の自転運動の予測データをあらかじめ準備しておかなければならないのですが、着陸せずに天体の内部構造や物性を決めることができる大変重要な探査手法です。実践例としてはヨーロッパ宇宙機構(ESA)による火星探査機Mars Express等のデータを利用して行われた火星の第一衛星フォボスが挙げられます[7]。また水星についても米航空宇宙局(NASA)の水星探査機MESSENGERによるレーザ高度計(MLA)のデータを用いて物理秤動(“自転周期=2/3公転周期”の一様自転からのズレ)の解析が行われ、従来の地上電波観測[8]と同様、内部に流体のコアが存在するとの結論が得られています[9]。このような物理秤動観測による内部構造の探査は2022年9月打ち上げ予定のESAによる木星氷衛星探査計画(JUICE)でもガニメデ周回軌道投入後(2034年)に計画されています[10]。

参考:
[1] 秤動 - Wikipedia 2020-10-03
[2] Park et al., AJ 161 105, doi: 10.3847/1538-3881/abd414. (2021)
[3] https://www.gsi.go.jp/uchusokuchi/vlbi.html
[4] https://ilrs.gsfc.nasa.gov/science/scienceContributions/lunar.html
[5] https://commons.wikimedia.org/wiki/File:ALSEP_AS14-67-9386.jpg
[6] Murphy et al., Rep. Prog. Phys. 76, doi: 10.1088/0034-4885/76/7/076901. (2013)
[7] Yang et al., A&A 636, A27, doi: 10.1051/0004-6361/202037446. (2020)
[8] Margot et al., J. Geophys. Res., 117, E00L09, doi: 10.1029/2012JE004161. (2012)
[9] Stark et al., J. Geophys. Lett., 42, 19, 7881-7889, doi: 10.1002/2015GL065152. (2015)
[10] 塩谷 他,遊星人, 29, 3, 153-170, doi: 10.14909/yuseijin.29.3_153. (2020)

(文責:荒木)