Z項について

 

 自転している地球は、やはりコマのように首振り運動をしています。地球の首振り運動は、太陽や月による引力を受けるからです。そのため、地球・太陽・月の位置関係によって、大きな首振り運動(才差)にいくつかの小刻みな運動(章動)が加わり、少々複雑な運動になりますが、これは天文学上の計算式で表すことが出きます。このことによって、星々の見える位置はわずかずつ変化しますが、私達の目にはわからないほどの変化です。

 位置の正確にわかっている星が、子午線(真上を通り天の北極と南極を結ぶと考えられた線)を通過するときに、水平方向を基準にして、その角度を測りますと、その地点の緯度がわかります。その日の星の見える位置を計算(視位置計算)して緯度観測しますと、視位置計算されたものとは、ほんの少しだけズレて観測されます。これを緯度変化といいます。1880年代の終り頃に発見されました。緯度変化は、数カ月かけて少しずつ増えたり、減ったりします。経度で180度はなれた地球の反対側では、これとそっくりな逆の変化をします。変化の大きさは、最大でも角度の0.3秒で、およそ14kmさきの1円玉を見る角度と同じです。このような緯度変化は、地球の自転軸に対して、地球自身がふらつくからおこります。そのため、ふらつく地球上の私達には、北極点が円に近いような、極運動と呼ばれる反時計廻りの運動をするように見えます。今からおよそ100年前は、極運動は緯度変化の観測からもとめるのが、最良の方法でした。

緯度変化と極運動の関係(12カ月間について)
模式図
緯度変化と局運動の関係

 世界中が手をとりあって極運動を調べるため、1899年末、国際緯度観測事業が始まりました。同じ型の望遠鏡で、同じ星を観測するため、北緯39度8分線上が決まりました。これは気象・交通・経済・文化等を考えてのことです。日本の水沢・イタリア・ロシア・アメリカに3カ所の合わせて6つの観測所が選ばれました。計算はドイツにおかれた中央局で行います。各観測所では、観測されたデータを月毎に中央局へおくります。中央局ではこれをもとに極運動を計算し、結果を世界中に発表するのです。ところがこの計算結果によりますと、水沢の観測値が1番悪いとされて、50点の評価でした。

 実際に「観測された緯度変化」(O)が、極運動から求められた(逆算された)「計算された緯度変化」(C)と比較(O-C)してみたところ、水沢の(O-C)が、他の観測所に比べて特に大きかったからでした。所長の木村は大いに悩みました。まもなくの1902年、木村は各観測所の(O-C)が、極運動のおよそ10分の1の大きさで、冬に緯度が大きくなり、夏に小さくなっていること(季節変化)に気づきました。そこで、緯度変化と極運動の関係式には、正体不明の何かが入っているとして「Z項」を入れた関係式を考えてみたのでした(北極点の位置は、X軸とY軸のグラフで表します)。その結果、どこの観測所も観測値と計算値が良く合うことがわかりました。そして、水沢の観測値は最も良く130点の評価でした。日本の科学水準が欧米に比べて、それまでは低いと見られていたのが、この「Z項の発見」によって、対等あるいはそれ以上であるということが認められ、日本の科学者達にとっては、大きなはげみとなりました。

 Z項の正体は、しばらくは謎のままでした。1955年、それまでの1晩4時間の観測を6時間にのばし、それから、10数年ものデータが集まったところで、1晩の中におけるかすかな緯度変化が、やっと見つかりました。これをさらに研究したところ、1970年になって、「年周(季節変化の)Z項」の原因がわかりました。それは首振り運動の計算式にあったのです。緯度観測が始まったころは、地球が固いものと考えられていました。実際には、地球の深部には、鉄などのとけた流体部分があります。地球が太陽や月の引力で揺さぶられるときに、流体部分と固体部分とでは、わずかに異なった動きをする現象が「Z項」の正体でした。さらに、あとから見つかった年周以外のZ項についても、同じような正体であることがわかりました。

(洗面器に水を入れ全部凍らしてからゆすってみましょう。それから少しだけ解かしてからゆすってみましょう。どこか感じが違いますね)

<菊地直吉>