天の川の地図作り

 

光の帯

 都会に暮らしていると、つい忘れがちですが、私たちの頭上には、いつも天の
川が流れています。山の野営地などで夜空を見上げると、無数の星をちりばめた
光の帯の壮大さに心を奪われます。
 この天の川の立体地図を作ろうという計画があります。VERA(VLBI Exploration
of Radio Astrometry :天文広域精測望遠鏡)という計画です。
 「えっ、地図なんて、とうの昔に出来ているんじゃないの?」と言われそうで
すね。たしかに、何がしかのものは、既にあります。
 銀色の川のように見えるのは、実は2千億個を超える星が円盤状に群がった大
集団で、私たちの太陽系がその中にあるために、重なり合った星の光が、天を二
分する帯に見えるのです。この星の集団を銀河系といいます。銀河系は、直径が
約10万光年で、中心のまわりに渦をまいており、太陽系はその中心からおよそ
2万8千光年ほどはずれた渦巻の腕のひとつにあると考えられています。この円
盤は、中心の周りをゆっくり回転しています。例えば、太陽は、およそ2億5千
万年かかって1周すると考えられています。
 でも、いったい、あの天の川から、渦巻構造や銀河回転がどうしてわかるので
しょう?星はあまりに遠いので、遠近感がわきません。そこで、みな同じ「天球」
にはりついているように見えます。だから、実際の分布がどうであれ、みな重な
り合って帯にしか見えないのですが。
 それには、星と星の間に漂うガスの水素原子や一酸化炭素分子が放つ電波を利
用します。これらの物質は、ある決まった波長の電波を出します。そこで、ドッ
プラー効果で、星間ガスの視線速度を知ることができます。円盤状の星間ガスが
全て銀河中心の周りを円を描いて回転していると仮定し、太陽から銀河中心まで
の距離と太陽が銀河中心の周りを回る速度がわかっていると仮定すると、視線速
度の情報から、星間ガスの銀河回転の様子と、空間分布がわかります。こうして、
星間ガスはむらむらを成し、渦巻に沿って分布していることがわかるのです。
 しかし、円運動の仮定が厳密に成り立つはずはありません。それに、ガスの視
線速度と銀河回転を結びつけるときには、いろいろな誤差が入ってきます。渦巻
構造がわかったのは画期的なことでしたが、こうしてできる銀河系図は、「地図」
というよりは、「見取り図」のようなものと思った方が安全です。

天体の距離

 でも何か変だぞ、と思われるかもしれません。何をまだるっこしいことを言っ
ているのだろう。星の遠近がわからないから帯にしか見えないのなら、距離を測
れば良いではないか。星ぼしの見える方向は正確にわかっているから、距離さえ
わかれば空間分布、つまり地図が描けるはずだ、と。
 たしかに、その通りですが、それが出来ないのです。実は、天体の距離を測る、
つまり宇宙の奥行きを知ることこそ、天文学が最も不得意とする、最大の弱点だ
ったのです。
 距離を確実に測る方法は、「年周視差法」です。地球は、直径およそ3億km
の円に近い軌道を描いて、太陽の周りを1年かかって公転します。そこで、近く
の星の方向は、はるか彼方の遠い星に対して、1年周期でずれて見えます。地球
と太陽の間の距離はわかっていますから、このずれの角度を正確に測れば、近い
方の星までの距離を求めることができます。つまり、地球の公転運動を利用した
三角測量です。
 このずれの角度の半分を、視差といいます。前世紀以来、多くの天文学者が大
変な努力を払って、光の望遠鏡で星の位置を角度の0.1秒から0.01秒(400kmの彼
方から1円玉を見込む角度です!)の精度で測り、年周視差を求めてきました。
この方法で距離が測れる範囲は、およそ300光年に達しています。でも、悲しい
ことに、さしわたし10万光年の銀河系に比べたら、これは本当に微々たる距離で
す。銀河系を直径10cmの円で表すと、年周視差法で距離が測れる範囲は、太
陽の周りの、直径わずか0.6mmの円にしかなりません。
 でも、この測定結果は、全ての天文学の基礎になっているのです。距離がわか
ってはじめて、天体の本当の明るさ、大きさなどの基本物理量がわかるからです。
星の進化の理論に決定的な役割を果たしたあの有名なヘルツシュプルング・ラッ
セル図も、太陽系の近くの星の年周視差が測れて初めてできたものです。
 これより遠い天体の距離は、測るというよりも、さまざまな仮定を用いて推定
しています。星自身の運動による位置の変化である固有運動を測り、星の集団運
動の性質を利用して距離を推定するとか、脈動変光星の周期と光度の間にある関
係を利用するとか、銀河回転そのものを仮定して視線速度から推定するとか。
 ですから、同じ星の距離の値が、文献によって数倍違うのも珍しいことではあ
りません。天体物理学が頼りにしているさまざまな「観測値」も、距離に依存す
るものは、実は相当怪しいのです。しかも、光による観測では、星間吸収物質に
阻まれて、銀河中心や更にその向こう側の天体は、見ることさえできません。
 銀河中心までの距離も、実はさまざまな仮定に仮定を積み重ねて推定したもの
です。1985年までは国際天文学連合の採用値は約3万2千光年でしたが、その後
2万8千光年になりました。最近では2万4千光年という説も有力です。
 そうなのです。これまでの銀河系図は、測量なしに作った「地図」だったので
す。方位は正確でも、奥行きは相当でたらめです。例えて言えば、北海道と東北
がぺしゃんこで、本州がまっすぐに描かれている古地図みたいなものです。これ
を、測量に基づく近代地図に変えようというのがVERAです。

大気の揺らぎ

 そのために使うのがVLBI(Very Long Baseline Interferometer:超長基線
電波干渉計)という技術です。数百kmから数千km離れたいくつかの場所に電
波望遠鏡アンテナを配備して、それらのさしわたしに等しい巨大アンテナと同じ
空間分解能を実現しようという技術です。現代天文学で最高の視力を持ち、分解
能は1ミリ秒角を切っています。
 VLBIの干渉計としての本来の能力をフルに発揮すれば、明るい点状電波源の位
置は、分解能のさらに数百分の1、つまりマイクロ秒角台の精度で測れます。実
際、特別な条件の下では、そのような超高精度観測の実例があります。しかし、
通常はそんな精度は出せません。各アンテナ上空の大気の揺らぎによって、観測
が乱されてしまうからです。このため、位置精度は1ミリ秒角から0.1ミリ秒角
台がやっとでした。
 この大気の揺らぎを取り除けないでしょうか?
 いろいろな方法が考えられますが、私たちが、一番単純、確実と思っているのは、
2つの方向を同時に観測できる電波望遠鏡でVLBIを作ることです。
 こういうものが出来れば、2つの電波天体を、同時にVLBIで観測できます。
それらが充分近い、角距離にして数度位しか離れていない場合には、2つの天体
からの電波は、観測局毎に、ほぼ同じ大気の層を通過します。したがって、両天
体の観測に及ぼす大気揺らぎの影響は、ほぼ同じになります。そこで、観測量の
差を取れば、大気揺らぎの影響は大部分が消えてなくなるはずです。このやりか
ただと、それぞれの電波源の絶対位置を測ることはできませんが、一方に対する
他方の相対位置は、VLBI本来の能力に近い精度で測れます。大気揺らぎの影
響が消えるので、長時間の観測結果を足し合わせて暗い電波源を検出することも
できます。この手法のことを、「複視野相対VLBI法」と呼んでいます。
 これを実現する手っ取り早い方法は、同じ観測局に2基ずつアンテナを並べる
ことです。2つのアンテナは、50m以内の近距離に固定配置します。あまり離すと、
大気の影響が共通でなくなるからです。もちろん、互いに視野を邪魔することさ
えなければ、近ければ近いほど良いのです。この距離をゼロにする技術も検討し
ています。
 理論モデルによる大気揺らぎのシミュレーションや、実験観測の結果、2000km
級の基線でこの方法を使えば、10マイクロ秒角台の相対位置精度を達成できるこ
とがわかりました。
 VERA計画では、岩手、鹿児島、石垣島、父島の4ヶ所に、口径20m級アンテナを
2基ずつ置き、相対VLBIに最適化した観測網を作る予定です。最大基線長は2300
kmです。

天の川の道しるべ

 10マイクロ秒角台の精度があれば、年周視差法で数万光年の距離が測れます。
つまり、銀河系全域の三角測量が可能です。そのための標識、「三角点」になる
のが、天体メーザー源です。
 メーザーというのは、「レーザーの電波版」、つまり、光のレーザーと同じ原
理で放射される電波のことです。新しい星が誕生している星生成領域や晩期型星
のごく近くで、水、一酸化珪素等の分子がこの機構による強い電波を放射してい
ます。これを、天体メーザー源といいます。メーザー源は、メーザースポットと
いう多数のコンパクトな点状電波源の集まりで、ひとつひとつが明るいので、VL
BI観測に大変適しています。しかも、特定の波長で電波を放射するので、視線速
度情報も得られます。銀河系の外にある別の渦巻銀河NGC4258の中心に巨大ブラッ
クホールがあるのがわかったのも、VLBIで中心核の周りに見えるメーザー源を観
測したおかげでした。銀河系内では、これまでに1000個を超える天体メーザー源
が見つかっています。これらは、天の川測量の格好の三角点になるはずです。
 相対VLBI法を使うには、メーザー源のすぐそばに、もうひとつ電波源が必要で
す。それには、銀河系外のコンパクトで明るい電波源、クェーサーを用います。
クェーサーは爆発している銀河中心核と考えられていますが、その多くは、数億
光年という宇宙の彼方にあります。そこで、その中心核がどんなに速く動くとし
ても、天球の上で10マイクロ秒角台の位置変化を示すことはあり得ないはずです。
ですから、メーザー源とクェーサーの相対位置を精密に測って、その時間変化を
調べれば、不動のクェーサーに対する銀河系内メーザー源の、従ってそのメーザ
ー源を伴う星の、年周視差と固有運動がわかります。視線速度はドップラー効果
でわかりますから、これらの情報から、距離と三次元運動をひきだすことができ
ます。
 クェーサーの数は、銀河系の星の数より多いと考えられています。そのうち強
い電波を出すものは比較的少数ですが、それでも、電波源カタログで調べてみる
と、天球の任意の方向の周辺数度以内に、観測可能なクェーサーが必ず1個は見
つかるはずです。
 というわけで、相対VLBI法を使って、天体メーザー源を道しるべにすれば、天
の川の精密立体地図が作れるのです。このことに気がつき、まじめに検討して、
具体的な装置計画にまで練り上げたのは、日本のVLBIグループです。国際的にも
次第に評価されるようになっていますが、今作れば、日本の独創で世界の先頭を
独走することができます。
 また、世界の天文学は、今、「すばる」望遠鏡、ハッブル宇宙望遠鏡、日本が
打ち上げる世界初の宇宙空間VLBI衛星VSOPなど、天体の細かい構造を詳しく調べ
る装置を競って作っています。いわば、精緻な平面写真をとるためにしのぎを削
っています。これはとても大切なことですが、そんな流れの中で、VERAだけが、
これらに奥行きを与え、立体写真に変えることを目指しています。これが、この
計画の、他にはない大きな特徴です。

地球の測量も

 VERAは、地球の精密測量も目指しています。ですから、天の川の地図作りの他
にも、地球回転の微妙な乱れの高時間密度観測や、地震につながる広域地殻変動
の観測を行います。さらに、2000年代初頭に日本がHIIロケットを使って行う予
定の画期的な月測地計画のために、主力地上観測装置として活躍します。
 また、相対VLBIの特徴を生かして、短センチ波・ミリ波帯での天体電波源微細
構造の解明に威力を発揮しますし、VLBI観測の合間に、一定の時間を割いて、ミ
リ波の単一望遠鏡観測にも利用する予定です。

天の川地図は何のため?

 「銀河旅行なんてまだ考えられないのに、地図なんか作って、いったい誰が使
うんですか?」と質問されたことがあります。
 たしかに、私たちが一番地図を使うのは、旅行の道案内にするときでしょう。
 しかし、地図の利用法は、それだけでしょうか?
 思い出してみて下さい。私たちは、どうやって、自分の住む町や世界の形を知
ったのでしょう?
 それだけではありません。地図は、山や谷などの地形がどうして出来たか、地
震や火山噴火はどこで起きやすいか、どんな場所にどんな気候が成立するか、動
植物がどんな分布をしているか、なぜ特定の場所に産業が栄えたか、など、さま
ざまな疑問にこたえてくれます。つまり、地図は、いろいろな研究の道具であり、
情報源なのです。
 天の川の立体地図も、これと同じように、宇宙を知ろうとする全ての人にとっ
て、なくてはならない道具・情報源になるはずです。
 測量に基づく銀河系地図ができてはじめて、私たちは、天の川の渦巻構造や中
心部の膨らみの形などを正確に知ることができます。最近大きな話題になった、
中心部に棒状の構造があるかどうかも、決着がつくでしょう。さらに、星や星間
ガスが、どのように銀河中心のまわりを回り、一部が中心に落ちこんでいくか、
などがわかります。この運動の様子から、銀河系の力学構造がわかり、物質の分
布、とりわけダークマターの分布が明らかになり、その正体解明が進みます。
 銀河系のどこで星が活発に生まれているか、そして何故そこなのかも、くわし
い「地形」がわかれば見当がつくでしょう。地図上の位置がわかれば、原始惑星
系円盤の実サイズ、生まれたての星の真の明るさなどがわかります。中心部と周
辺部など銀河系内の異なる場所で、それらの値がどう違うかなど、「比較星惑星
形成学」が成立します。同じような比較研究は、さまざまな星や星間物質に対し
ても可能になります。
 こういうことが全てわかれば、これまでは「模型」しかなかった銀河系の動力
学的進化を、具体的根拠に基づいて解明できます。
 さらに、銀河系の外の遠い宇宙の距離を推定するために「標準光源」として使
われてきた脈動変光星などの距離がわかります。そうすると、「標準光源」の本
当の明るさが検定できます。これは、宇宙論や、宇宙の年齢の推定をより正確な
ものにします。
 天の川の中では、今も、無数の星が生まれ、明るく輝き、そして暗黒の中に消
えていきます。この、星の生死を軸に展開する宇宙のドラマを、曲がりなりにも
奥行きをもってながめることができる銀河は、わが天の川銀河系だけです。です
から、銀河系内天体の物理研究こそ、全ての宇宙研究の基礎なのです。それが精
密になることは、全ての天文学の定量的基盤の強化につながるはずです。
                              <笹尾哲夫>