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Z項発見の経緯

Z項発見の経緯

木村榮によるZ項の発見(1902年)

緯度観測を開始した直後の1900年のデータを調べた結果、ポツダムの中央局は、水沢の観測誤差が大きいと指摘し、望遠鏡の調査や観測を見直すように指示しました。つまり水沢の観測結果は落第点をつけられてしまいました。中央局の指摘後、半年近くたった1901年の秋になって、中央局の報告書の値に予想外の変動が見つかりました。観測された緯度の極運動から逆算された観測所の緯度からの差(残差)が1年周期で変動していたのです。この変動は観測所の経度ごとに違っていますが、そのためには、観測緯度に経度によらない変動があると考えなくてはなりません。そこで緯度変化を表す式に、観測局の経度 によらずすべての局に共通の変化を表すZという項を入れて、観測データを

z項

ΔΦは緯度変化、xとyは北極の位置、λは観測所の西経、Zは木村が発見したZ項。

と表すことを考えました。すると観測結果をずっと良く表すことができ、特に水沢の観測残差は半分近くまで減りました。Zの大きさは地表面で1mほど動くことに相当します。

Z項の導入により、未知の現象を発見したばかりでなく水沢の観測精度が高いことも示し、木村は世界の天文学界に対して面目を保つことができました。

Z項の効果
Z項を無視すると、各局の緯度の残差は経度に依存した年周変化をし ます。Z項を取り入れると、年周変化は見られず残差全体が小さくな ります。
Z項論文
1902年に Astronomische Nachrichten 誌に発表された Z項に関する 木村榮の論文の一部です。Z項の1年間の変化が描かれています。(当 時は Zではなくξを用いていました。)

Z項の原因解明の努力(1902 年~1960 年代)

Z項を取り入れると観測値は良く説明できるようになりましたが、その原因は分からないままでした。年周Z項は望遠鏡の位置が南北に約1m変化することに相当しますが、実際に位置がそんなに変化しているとは考えられません。そこで、原因を探るいろいろな研究が行われました。

鉛直線の変化

星の位置(天頂距離)は、重力の方向(鉛直線)を基準に測られます。そこで、まず、鉛直線そのものの年周変化が疑われました。原因としては地球重心の変動が考えられました。

鉛直線が変化すると離れた2地点間の高さも同じように変化すると考えられます。ドイツのベルリン周辺で高さを測定する水準測量が繰り返し行われましたが、Z項に相当するような高さ変化は見いだされず、この可能性は否定されました。

大気による光の屈折

気象環境は年周変化するので、大気による屈折や高層の風といった観測局の周辺の影響が調べられました。1940年代までは、世界的にZ項の主因は望遠鏡周辺環境の影響であるという考えが主流でした。

天体の位置を観測する場合、地球の大気を通して地表で星の観測をします。例えば高さ45度の天体は、この大気の中を光が通る間に1分角(1/60度)の大きさで屈折して浮き上がって観測されます。この屈折の大きさが夏と冬で季節変化すると見かけの星の高さが変化して観測され、それが観測局の位置変化として観測されることになります。

観測室周辺環境の影響

大気の影響のうちで、まず疑われたのは観測室の南北での気温差による屈折率の非対称性です。その影響を調べるために、2年間にわたり特殊な観測室で同時に観測を行いましたが、確定的な結論は得られませんでした。

風と緯度変化の相関

風の方向と緯度変化の相関がグリニッチの浮遊天頂儀(FZT)観測結果に見いだされたことを受けて、水沢にもFZTが眼視天頂儀(VZT) に並べて設置され、同時観測が行われました。観測方法や望遠鏡に問題がないか、眼視観測の影響、局所的環境の影響等を調べるためです。乾板に撮影するのであとでゆっくり測定でき、視野が広いので同じ星を長期間観測できるという利点も期待されましたが、初期は乾板の感度が十分でなく苦労を強いられました。

高層大気による影響

地表風だけでなく高層大気による屈折が年周変化するかどうかをさぐるため、気球を用いた高層風の観測が行われました。観測所から放たれた気球を南北約1.8km離れた2点から方位と高度を観測し、気球の動きを1分ごとに測定するという大変手間のかかる観測でした。1920年には日中の観測が、翌1921年には夜間の観測が試みられ1943年まで続けられ、この間に放たれた気球は6000個におよびました。この努力にも拘わらず、確定的な結果は得られませんでした。

南半球での観測

観測環境によると考えられていたZ項が南半球ではどのように現れるかを調べるために、1930年代に南半球の3カ所に緯度観測所が設けられました。アデレード(オーストラリア)には、水沢で1927年まで使われていたVZT1号機が貸し出されました。

原因わからず

研究を進めた結果、最終的には、VZTとFZTの並行観測データからZ項環境原因説は否定されました。この他にもさまざまなことが試みられましたが、決定的なデータは得られず、原因は長い間謎のままでした。

大気屈折による星の見え方
大気屈折による星の見え方
室内屈折の影響を調べるための特別な観測室
室内屈折の影響を調べるための特別な観測室 ( 通称うなぎの寝床 )
気象観測棟
気象観測棟
気象観測の様子
気象観測の様子

Z項の解明(1950年代~1970年)

剛体地球の章動

緯度変化を計算するためには位置の基準となる星の観測時のみかけの位置をずっと正確に知る必要があります。そのためには、いろいろな効果を考慮する必要がありますが、章動の計算には地球がまったく変形しない固い物質(剛体)であるというモデルがずっと使われてきました。

現実の地球の章動

実際の地球内部は、マントルという固体部分と液体の核からなる構造をしています。マントルは鋼鉄のように固いのですが、太陽や月からの力を受けると変形する物質(弾性体)です。また、流体核があることにより地球は複雑な振る舞いをすることが分かってきました。1950年代末から60年代にかけて、このような地球モデルにもとづく章動の理論値が計算され、剛体モデルによる値との違いが明らかになりました。特に半年周期の章動の振幅の違いが大きく、約0.04秒角(9万分の1度)の違いがありました。この誤差が見かけの星の位置変化としてあらわれ、年周変化のZ項として観測されていたとの可能性が考えられるようになりました。

Z項の解明

章動の誤差は、ほぼ1日周期の緯度変化としてあらわれることが分かっていました。しかし、2群観測では天体を観測する時間帯が真夜中前後の1日のほんの一部の短い時間(4時間)に限られたため、日周変化は見つけられませんでした。一方、Z項は緯度の年周変化として観測されていました。厳密な日周から少し(年周)だけずれた、ゆっくりしたずれ部分だけが観測可能だったためです。

1日内の変化を観測するために、1955年から一晩3群6時間の観測が行われました。この観測データを詳しくしらべると、1日の内で予想通りの変化をしていることが見つかりました。1970年に緯度観測所の若生康二郎は、これによりZ項の原因が章動の誤差によることを明らかにしました。

経度変化

 Z項に相当する変化は、緯度変化(南北方向)だけではなく経度方向(東西方向)にも現れます。緯度観測所の横山紘一は、1970年にIPMSのデータから経度方向の変化(τ項)があることを見つけました。これによりZ項が章動の誤差によることがいっそう明らかになりました。

現代のZ項

このようにZ項は一旦解決しましたが、現在行われている最高の観測精度では、1万分の1秒角といった非常に小さなところで、観測と章動理論の違いが現れています。これは我々の地球に関する知識にまだ「未知」な部分があることを示しています。

地球の構造
地球の構造
黄道傾斜角(緯度方向)に現れる章動残差
黄道傾斜角(緯度方向)に現れる章動残差(観測される値と理論値との差)