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水沢の登録有形文化財のご紹介

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国立天文台水沢キャンパスでは、4つの施設が登録有形文化財となっています(平成29年10月27日(金)官報 文部科学省告示第170号)。これらの施設をご紹介し、また実際に使用されていた頃の様子やその後の経緯についても触れたいと思います。

図1 国立天文台水沢VLBI観測所と登録有形文化財位置
図1 国立天文台水沢VLBI観測所と登録有形文化財位置
図2 木村榮記念館前に設置された登録有形文化財を示すプレートと案内板
図2 木村榮記念館前に設置された登録有形文化財を示すプレートと案内板(旧緯度観測所本館のプレートは、奥州宇宙遊学館内に別に展示)

1.旧臨時緯度観測所本館(木村榮記念館)

1899年(明治32年)から発足していた臨時緯度観測所の本館として1900年(明治33年)3月に完成しました。これができるまでは、事務などは、暫定的に民間の屋敷を借りて処理をしていました。当初は入口が北向きで、2棟からなり、屋根は栗柾葺でしたが、後に瓦葺になりました。

臨時緯度観測所では、天体観測と同時に気象観測も行い、Z項の解明に向けた研究を行っていましたが、地元の方々への便宜をはかるため、その気象データを使って、天気予報を行い、この本館の横に旗をたてて、地元の方々に知らせていました。その後、1921年(大正10年)に旧緯度観測所本館が東側に並んで建設されたあとは、本館の機能はそちらに譲り、職員の居室や資料庫等に使われていました。

1967年(昭和42年)に新たに鉄筋コンクリート製の本館(現在の国立天文台水沢VLBI観測所本館)が建てられるのに伴って、旧緯度観測所本館と共に移動が必要になりました。旧臨時緯度観測所本館は2回にわたる曳家によって北側に移されると同時に、向きも180度回転して、入口が南向きに変更されました。10月に現在の本館のお披露目を機に、木村記念館として木村の業績や当時の緯度観測所の研究内容の展示を行う事になりました。ただし、木村記念館の公開は、当初は、限定的だった様です。

2007年(平成19年)、旧緯度観測所本館が奥州市に移譲されて奥州宇宙遊学館になる頃、木村記念館は耐震工事をする必要が生じ、約10m北側に強固な基台を設置し、その上に建物が移動しました。結局この建物は合計3回移動していることになります。同時に、奥州宇宙遊学館と展示の内容を重複させないため、最近の研究内容についての展示は奥州宇宙遊学館にお願いして、木村榮所長の業績とZ項の研究について重点を置いた展示内容に完全にリニューアルしました。そして、2008年(平成20年)に名称を「木村記念館」から「木村榮記念館」へと変更して現在に至っています。文化勲章(複製)や英国天文学会ゴールドメダル(複製)、Z項が発見された時に使用された眼視天頂儀1号機(実物)などが展示してあります。

図3 旧臨時緯度観測所本館(木村榮記念館)と木村榮銅像
図3 旧臨時緯度観測所本館(木村榮記念館)と木村榮銅像

2.旧臨時緯度観測所眼視天頂儀室

1899年(明治32年)12月20日に完成したと記録には残っていますが、観測自体はもう少し早めに開始していたようです。国立天文台に現存する建物の中では、一番古いものです。この中には、万国測地学協会から提供されたドイツ製の眼視天頂儀1号機が置かれ、屋根を東西に開く事で、天頂付近の星の位置が極めて精度良く測定できました。風が安定して通るように百葉箱などでよく採用された「ガラリ」という構造が四方の外壁と扉に使われています。国際的に高い評価を受けた木村榮初代所長のZ項の発見は、この施設の観測データから生まれました。

眼視天頂儀は建物と基礎を別にするコンクリートの台の上に置かれました。この台は地下深くまで伸びる強固な基礎の上に固定されています。

図4 旧臨時緯度観測所眼視天頂儀室 左遠方に、目標台及び覆屋が見える。
図4 旧臨時緯度観測所眼視天頂儀室 左遠方に、目標台及び覆屋が見える。

3.旧臨時緯度観測所眼視天頂儀目標台及び覆屋

眼視天頂儀室の真北およそ100mの所にある小さな建屋(覆屋)の中にあるのが目標台です。眼視天頂儀の方向を高精度に較正するために、この建物の中の安定した基台の上に電灯が固定されていて、建物の南側の窓をあけると、天頂儀室からこの電灯を直接観測できるようになっていました。これを風雨から守るために覆屋があります。覆屋の屋根は当初は藁葺でした。また、当初は、眼視天頂儀室の南側にも置かれていましたが、今は、北の目標台だけが残っています。

図5 旧臨時緯度観測所眼視天頂儀目標台及び覆屋
図5 旧臨時緯度観測所眼視天頂儀目標台及び覆屋

4.旧緯度観測所本館(奥州宇宙遊学館)

当初臨時緯度観測所として始まった水沢の観測所は、木村のZ項発見などにより地球の極運動の研究を腰を据えて長期間にわたって続ける必要が出てきたため、1920年(大正9年)に「臨時」の文字が取れて緯度観測所となりました。1922年(大正11年)からは国際緯度観測事業の中央局をも担いました。それに先立つ1921年(大正10年)に建てられたのが旧緯度観測所本館です。当時としては珍しい、望楼を持つ木造2階建ての本格的な建築で、大正期に建てられた建物として歴史的価値が高いものです。よく見ると、凝った装飾がいたるところに見られます。

上述の様に、1967年(昭和42年)に現在の国立天文台水沢VLBI観測所本館が建てられるのに伴って、曳家によって西に移動し、その後は、会合開催や機器・書類の保存場所として使われました。

2005年(平成17年)に老朽化の為に取り壊しが計画されましたが、水沢のシンボルとして、また賢治作品の関わりを記念する施設として保存活用を求める大きな市民運動がおこり、最終的に保存される事になり、市に移譲されました。2度目の曳家によって南に少し移動された後、全面改修されました。建設当時の壁面等の色が再現され、2008年(平成20年)4月から奥州市の奥州宇宙遊学館として活用されています。

図6 旧緯度観測所本館(奥州宇宙遊学館)
図6 旧緯度観測所本館(奥州宇宙遊学館)

参考文献

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