川口さんは、天文学者になるまでどのような道のりをたどってこられたのでしょうか。
じつは、いまでも自分を天文学者とは思っていなくて、天文技術屋だと思っているんです。ずーーっと天文観測をするための装置を作ってきました。望遠鏡を作り続けた人生ですね。
観測のための技術開発をする研究者なのですね。
そうです。私のルーツはアマチュア無線。親父が日本電気に勤めていて、お小遣いをもらってラジオや受信機を作ってたね。秋葉原の無線デパートによく連れて行ってもらった。
その方面にとても恵まれた家庭環境だったんですね。
恵まれてたね。それでアマチュア無線をやって、電気通信大学に入って船舶無線通信士の資格をとった。実技が厳しくてね。50人からどんどん脱落していって最後まで生き残るのが3人。その3名は、日本郵船、商船三井、ジャパンラインに各1名ずつ採用されることが確定していた。ちなみに私もその中の1人です。
すごーい!
それで3人に残って、さぁこれからと思ったら、私らの代から無線通信士の採用がゼロになっちゃったの!無線通信士になりたくて、国家試験も通って免許もとって、さぁこれからだっていうときに。
ひとつの道に賭けていた。その夢が断たれてしまったとき、どうされたんですか。
パッと変えたけどね。船舶通信士はあきらめたけれど、大学院に移って電波の研究に変えました。
電波の研究に変えて、この道で花が咲きました!
良かったよ~花が咲いて(笑)。人生ってわからないものだね。
1年ずれていたら海の男だったかも知れないんですね。
だから船舶通信士には思い入れがあるんだよね。私たちは最後の船舶通信士志望学生だったんだなぁ。(しみじみ)今も第1級無線通信士の資格は持ってますよ。ほら、これが私が死ぬ気でとった免許証だよ。
まぁ!イケメン♡
学生時代の写真だからね。髪だってフサフサだよ(笑)。
記事公開日:2014年3月21日