VLBIで距離を測る

 

 天体の距離の測定は、天文学にとって非常に基本的なものであるが、同時に、
容易なことではない。太陽近傍百光年程度のところの星の距離測定から初めて、
様々な手段を積み重ねてハッブル定数や宇宙年齢を導きだす。特に銀河系の外
にあるたくさんの銀河の距離を直接測定するのは、非常に困難である。
 約2千万光年と、銀河の中では比較的近くにあるNGC4258が、直接距離測定の
方法を提供した。この方法自体は、昔から知られている物理法則の簡単な適用
である。ところがこの銀河が極めて特異な性質を持っており、それが距離の直
接測定につながった。その特異な性質から、天体距離の測定には門外漢の筆者
が、以下に概要を述べることとなった。
 NGC4258の中心核で巨大ブラックホールの確証が得られた、と我々が発表し
たのは1995年であった。この銀河の中心核から放射されている水メーザーが、
毎秒1000キロメートルもの高速度を持っている。これは野辺山宇宙電波観測
所の45m望遠鏡の観測で発見した。それをきっかけにして、中心核に太陽の3600
万倍の質量の巨大ブラックホールが存在することを極めて単純明快に示した。
当時稼働を開始したばかりの米国の超長基線電波干渉計(VLBI)システム、VLBA
を利用した観測から、中心核の周りに高速で回転するガス円盤が発見され、そ
の解析結果を基にした結果であった。この時点ですでに、距離を直接導くこと
が回転円盤の観測から可能であり、今後の天文学の発展に大きな影響を与える
ことがわかっていた。
 NGC4258の回転円盤について、多少説明が必要である。VLBA観測で発見した
回転円盤は、半径0.4〜0.8光年の広がりを持ち、距離は上に述べたが約2千万
光年である。すると半径は角度で数ミリ秒角となる。これらは波長1.3cmに水
分子が放射するメーザー源の位置と、視線速度の観測から求められた。波長は
電波領域であり、もちろん電波望遠鏡でしか観測出来ないが、さらにこれだけ
の小さな円盤は、VLBIでしか分解出来ない。
 回転円盤を真横から観測出来たのは幸運であり、円盤上に分布する数十個の
メーザー源の位置と視線速度から、その回転がケプラー運動をしていることが
明らかとなった。ケプラー運動は太陽系の惑星の回転から明らかにされたもの
であり、万有引力の法則に従う。従って中心の質量がどれだけかは、ニュート
ンの時代以降、誰でも計算が出来るはずのものである。このような回転円盤の
実際の大きさと見かけの角度とから、距離が直接求められる。
 さて、実は上の段落の記述にはいくつか問題がある。VLBAの1回の観測から
では、実際の大きさは求められない。メーザー源の回転軌道の大きさは、互い
の比は決められるが、比例定数が決まらない。本当に幸運にも、横から見た円
盤の手前側、中心の巨大ブラックホールを背景に位置するメーザー源(図の緑
色の点)の視線方向の加速度が、他で観測されていた。これを回転による加速
度とすれば、その軌道の大きさを決めることが出来る。比例定数はこのように
して決められた。
 一応これで距離が決められる。しかし加速度の観測は他人のものである。さ
らにこの加速度を持つメーザー源は、毎秒1000キロメートルもの速度で天空上
を西から東へ回転している。これは毎年数十マイクロ秒角で固有運動をしてい
ることとなり、数年かければ観測可能である。我々は回転円盤という観測結果
の解釈に十分自信を持っていたが、この運動が観測できればさらに解釈を強固
なものとすることが出来る。加速度と固有運動のVLBAによるモニター観測が3
年間で計5回行われた。
 加速度と固有運動、それと回転円盤の両側にあるメーザー源(図の赤および
青の点)の位置と視線速度とから、回転円盤の大きさ(比例定数)が決められ
る。両側のメーザー源はきれいにケプラー運動をしている。また加速度と固有
運動もそれぞれ毎年当り9.3 ± 0.3 キロメートル/秒、 31.5 ± 1 マイクロ
秒角と精度良く決められたので、距離も精度良く決まり、7.2 ± 0.3 メガパ
ーセク(2300 ± 100万光年)となる。固有運動は両側のメーザー源に対する、
円盤の手前側のメーザー源の相対運動で、非常に正確に求められる。
 この方法で色々な銀河の距離を正確に決めることが出来れば、ハッブル定数
も問題なく決まり、天文学に大きな貢献が果たせる。しかしこれほど近いと、
銀河自身の固有運動の影響も考えられ、ここで求められるハッブル定数は残念
ながらあまり意味がない。それよりもこの場合重要なのは、2千万光年彼方の
銀河の距離が直接正確に決められた事により、従来の距離の決め方との比較・
較正が可能になることである。事実ハッブル宇宙望遠鏡でこの銀河のセファイ
ドの観測が行われ、従来の距離決定法で求めた値では10%以上の距離の食い違
いとなることが報告されている。
 VLBI観測では上に見たように、相対的に位置を正確に求めることが可能であ
る。銀河系内の星生成領域で、原始回転円盤のメーザー源があれば、同様の方
法で距離を決めることが可能であろう。現在水沢のVLBIグループを中心にして
高精度VLBIネットワークVERAの建設が開始された。これは銀河系内外のメーザ
ー源の位置を、相対VLBI法によって正確に求めて、距離や運動を高精度で決め
る計画である。銀河系内のメーザー源は数多くあり、銀河系の運動等が正確に
測定できると期待される。VLBIの卓越した分解能や位置精度が、天文学に新た
な展開をもたらすことを期待したい。

 NGC4258


図の説明
NGC4258の回転円盤。赤と青の点で示されている東西(左右)のメーザー源の
視線速度と位置から、ケプラー運動をしていることがわかり、緑点で示されて
いる中心核を背景にしたメーザー源の加速度および、赤と青点に対する相対的
な固有運動を考慮すると実際の大きさがわかる。中心の黒点は巨大ブラックホ
ールの位置であり、それを中心にして、南北にジェット状に広がる連続波の構
造が観測された。

「国立天文台ニュ−ス No.84より転載」<電波天文学研究系 教授 井上 允>