巨大GPSアレイセンサーがとらえた
         水蒸気の動態

 

 人間活動の増加に起因する地球温暖化は、ここ東北のど真ん中の水沢でも実
感できます。それは、特に厳冬期に顕著で、雪をかき分け難儀して小学校に通
っていた頃と比較し、近年は雪が降ってもすぐ融ける暖冬が多くなりました。
また、高山植物の宝庫として知られる早池峰山の「エーデルワイス」(早池峰
薄雪草)は山の麓から姿を消しつつあり、その一因は、高山植物が急激な地球
温暖化に適応できないことにあると考えられます。
 私は、修士課程の研究の1つとしてGPSを用いて地球温暖化に起因する海面上
昇(1〜2mm/yr)の検証を試みました。検潮データから、GPSで観測される検潮所
の地殻変動を分離するのです。ここで、GPSは、高度約20,000kmにある衛星か
らの電波を利用し、地球上の位置を高精度で決定する「全球測位システム」の
略称で、もし大気が無ければ1mmの精度で地上での測位が可能と考えられてい
ます。
 しかし、実際は、大気による電波の到達時刻の遅れ(大気遅延)の影響で精
度は劣化し、特に湿潤なときには10cmに達する測位解のドリフトを示すことが
あります。この要因の多くは、変化が激しい水蒸気に起因する湿潤遅延にある
と考えられます。このような現状では、海面上昇の検証に必要な精度は達成さ
れないことから、まず、水蒸気の動態を理解することが必要となります。
 ところで、水蒸気は大気中最大の温室効果気体としても知られており、潜熱
の輸送などを通して気候の形成に重要な役割を担う気体です。しかし、従来の
気象測器で観測される水蒸気情報は、十分な時空間分解能を持っていないこと、
雨天時のデータの信頼性などに問題がありました。そこで、GPSで誤差源とし
て分離される大気遅延に含まれる水蒸気情報を気象学的に利用する研究、すな
わち、「GPS気象学」の研究が我が国でも始まりました。
 幸運なことに、日本には1000点を越える国土地理院の稠密全国GPS観測網が
あります。この観測網から得られる大気遅延を用いれば、ベールに包まれた水
蒸気の動態が明らかにされることが期待されます。しかし、この観測網は地殻
変動の監視を目的とすることから、解析上の副産物である大気遅延は、真の水
蒸気の動態を反映するか分かりません。そこで、私たちは、この観測網がとら
えた水蒸気の動態とその精度評価に関する研究を行いました。一連の研究の膨
大なデータ処理、データの可視化には、国立天文台の計算機システムを用いま
した。




 上図は、1996年9月1日から3日にかけ、前線が日本列島を西から東に通過す
るとき、GPS観測網がとらえた6時間ごとの可降水量(鉛直方向の水蒸気の積算
値で降水量に換算したもの)の変動で、1日から3日の可降水量の平均値からの
偏差を各観測点ごとに計算したものです。日本列島上空に前線が横たわる9月1
日9時の天気図を下に示します。強い降水を伴って移動する前線に沿う帯状の
水蒸気分布をはじめてとらえることができました。このGPS可降水量を気象庁
客観解析に基づく可降水量を比較したところ、両者はRMSで4mmで一致している
ことから、この観測網は、日本列島上空の巨大な全天候型水蒸気センサーとし
て機能していると考えられます。

    


 一方、GPS観測網は、夏季に卓越する水蒸気の日変化の2次元分布をはじめて
明らかにしました。可降水量の主成分解析を行うと、日の出とともに水蒸気が
急激に増加し、日の入りとともに緩やかに減少するモードが山岳域を中心に日
本列島全域で卓越していることが分かりました。これは、地理的・気候的に複
雑な日本列島特有の局地循環の解明に極めて重要な情報になると考えられます。
 このように、このGPS観測網から得られる湿潤遅延は、気象学的に極めて貴
重な情報になることが示されました。日本は、モンスーン気候帯に属し、海洋
に囲まれ湿潤な気候であり、そして起伏が激しいことを考慮すると、この観測
網は、大陸では観測できない日本特有の地理的条件に特徴づけられた貴重な水
蒸気の情報を提供すると考えられます。
 ここまで、国土地理院全国GPS観測網により明らかにされた水蒸気の動態が
示されてきましたが、得られた水蒸気の動態に対する知見に基づき測位精度を
向上させることは可能でしょうか?私たちは、水平測位解に見られる数cmのド
リフトの原因も調査し、前線などで系統的な大気遅延の空間勾配が生じるとき、
水平測位解と大気遅延の空間勾配の間に線形関係が見られることを明らかにし
ました。これは、国土地理院のGPS解析では水蒸気の等方分布モデルが仮定さ
れていることが原因と考えられます。すなわち、水蒸気の水平勾配が生じると、
湿潤な方向から乾燥する方向に見かけの測位解変動が生じるのです。この関係
を用いると、水平測位解の異常な変動が、地震発生と関連した地殻変動を反映
するかを診断可能になります。
 このような研究の積み重ねにより、GPS測位精度が長期再現性で1mmオーダー
まで向上すれば、地震発生と関係する微小な地殻変動をはじめ、地球ダイナミ
クスの理解、そして、私の興味でもある地球温暖化に伴う海面上昇や水蒸気の
増加などの測地学的検証が可能になると期待されます。なお、これらの研究成
果は、3編の論文として海外の雑誌 (J. Geophys. Res., Geophys. Res. Lett.,
J. Appl. Meteor.) に投稿中(予定)です。
               <日本学術振興会 特別研究員 岩淵哲也>