衛星海面高度計データに基づく
       海洋潮汐モデルの開発

 

 多くの人が小さい頃海や河口で遊んだ時に潮の干満を体験したことがあると思い
ます。この潮汐(ちょうせき)は月・太陽の引力の変化によって引き起こされます。
潮汐の研究の歴史は古く、最初に物理的な説明がなされたのは実に1687年のNewton
にまで溯ります。しかし、全海洋について詳細な海洋潮汐の地図が描かれるように
なったのはごく最近のことです。その理由として、固体地球潮汐と違って海洋潮汐
は海底摩擦や海陸分布の影響を受けて平衡潮にはならない(起潮力ポテンシャルに
比例して瞬時に応答しない)のでモデル化が難しいことや、外洋潮汐の観測が難し
いことがあげられます。検潮所によって沿岸で海洋潮汐を観測することは比較的容
易にできても、海底圧力計を全外洋にばらまいて観測するなどということは実現困
難だったのです。
 この状況を打開したのが1970年代から始まった人工衛星海面高度計ミッションで
した。これにより、海面の高さの時間変化が全球的に測られるようになりました。
その測定精度は年々向上し、1992年に打ち上げられたTOPEX/POSEIDON衛星(http://
topex-www.jpl.nasa.gov/)に至っては海面高度の測定精度は4〜5cmまで向上しまし
た。この衛星は9.9156日周期で地球を254周した後同じ地点に戻ってくる繰り返し軌
道をとっており、約10日毎に同じ地点の海面高度を測定できる、いわば「宇宙から
の検潮」の役割を果たすわけです。
 潮汐は一般に約一日および約半日の周期帯にピークをもつ多くの波の重ねあわせ
として表現されます。地球・月・太陽の軌道運動はかなり正確に分かっているので、
それぞれの波の周期は予め知ることができ、観測データを解析すれば、容易にある
周期の波の振幅と位相を決めることができます。潮汐の変動周期より衛星による観
測周期の方が長いためエイリアシングが起きますが、打ち上げ前から海洋潮汐が重
要な研究項目として認識されていたため、主要な波が長周期化しないような軌道が
とられています。9.9156日という周期は絶妙に設定されているわけです。実際、19
90年代中盤には少なくとも12の海洋潮汐モデルがTOPEX/POSEIDONデータを用いて開
発されました。外洋においては、新しいモデルは従来のモデル(例えば、理科年表
でもおなじみのSchwiderskiモデル)の精度を大きく改善しました。しかし、水深が
1000mよりも浅い海の精度には問題が残されました。
 何故浅海での精度が悪かったのでしょうか?それは、おおざっぱに言って潮汐波
の波長は水深の2分の1乗に比例し、浅くなるほど波長が短くなるからです。時間分
解能を上げれば空間分解能が下がる(逆も真)という人工衛星高度計の宿命もあっ
て、赤道で314kmというTOPEX/POSEIDONの軌道間隔では浅海で卓越する潮汐の短波長
成分を分解できなかったのです。そこで筆者を含むグループは工夫をこらして新し
い海洋潮汐モデルを開発しました(Matsumoto et al., Journal of Oceanogr., 56,
567-581, 2000)。
 少なくとも軌道に沿った方向には1秒毎(約6km毎)に観測があるので、我々は、
まず衛星軌道に沿って高い分解能で潮汐解析を行いました。これで潮汐の短波長成
分をうまく捉えることができるのですが、軌道に挟まれた領域は空白になってしま
います。そこで、海洋潮汐を物理的に記述した数値モデルを使ってこの部分を埋め
る(内挿する)手法をとりました。所謂同化手法と呼ばれるもので、観測値と数値
モデルとを融合させることによって数cmの精度をもつ現実的な海洋潮汐モデルを構
築することができました。我々は解像度0.5度の全球モデルと解像度5分の日本周辺
モデルを主要16分潮について開発しました。日本周辺モデルには衛星データの他に
沿岸の検潮データも同化して精度の向上を図っています。

日本周辺のM2分潮の振幅と位相

   図1:日本周辺のM2分潮の振幅(白破線、コンター間隔10cm)と位相
      (黒実線、コンター間隔30度)。この海洋潮汐モデルはTOPEX/
      POSEIDON衛星海面高度計データと沿岸の検潮データを数値モデ
      ルに同化することによって開発された。オホーツク海や黄海な
      どに見られる空間的に複雑な海洋潮汐の構造が再現されている。

図1は日本周辺モデルのうち、最も振幅の大きなM2分潮(周期12時間25分)の振幅
と位相を示しています。オホーツク海、黄海、東シナ海、瀬戸内海、九州西岸で大
きな振幅を持つのが特長です。
 筆者は海洋学者ではなく、むしろ固体地球物理学者ですが、何故海洋潮汐を研究
するのでしょうか?その理由の一つは海洋が固体地球の観測に少なからず影響を及
ぼしているからです。固体地球そのものも月・太陽の引力によって変形しています
が、それ以外にも海水の荷重による変形も起こしています(荷重潮汐)。GPS、VLB
I、超伝導重力計などの高精度測地観測データを解析し、現象を深く理解するため
には、荷重潮汐を精度良く補正する必要があります。例として日本周辺のM2荷重潮
汐の鉛直変位成分の振幅を図2に示しました。

M2海洋潮汐荷重によって日本周辺で引き起こされる固体地球の鉛直変位成分の振幅

   図2:M2海洋潮汐荷重によって日本周辺で引き起こされる固体地球の鉛
      直変位成分の振幅。コンター間隔は2.5mm。

日本の陸域では九州南部など大きいところで2cm、北海道北西部など小さいところで
も5mmの振幅を持ちます。GPSやVLBIの位置決定精度がmmに達しようとしている現在、
荷重潮汐の効果は到底無視できず、荷重潮汐モデルにもmmの精度が要求されていま
す。
 衛星海面高度計は海洋潮汐の知識を大きく向上させましたが、まだ浅海における
モデルの精度が外洋よりも劣ることに変わりはありません。単一衛星による観測に
はそろそろ限界が近づいています。今後は複数衛星観測によって時間・空間分解能
を高めていくことや、面的に海面高度を測定する機器の開発に力が注がれていくで
しょう。また、本稿では触れませんでしたが、非線型潮や潮汐エネルギー消散など
未解決の問題も少なからず残っています。将来得られるであろう新しいデータによ
って現在残っている問題を解決し、海洋潮汐に対する理解をさらに深めたいと考え
ています。また、これは固体地球のさらなる理解につながるのです。

(なお、本稿で紹介した海洋潮汐モデルや荷重潮汐計算プログラムは以下のURLで
利用可能です。
http://www.miz.nao.ac.jp/staffs/nao99/index.html

「国立天文台ニュ−ス No.90より転載」    <地球回転研究系 松本 晃治>