重力計測による月探査

 

 月の重力場の詳細を調べることによってその中の質量分布の手がかりが得られる。
波長の短い成分からは表層に近い地下構造やアイソスタシーの成り立ち具合、さら
に岩石圏の硬さや粘性が議論できる。一方J2項(赤道部分のふくらみ)やC22項
(地球方向への出っ張り)等の低次の調和係数で表される長波長成分は大局的な質
量分布を反映しており、月の物理秤動の観測から得られる力学的扁平率(軸による
慣性モーメントの差)との比から月の慣性モーメントがわかる。地球にとって分不
に「大きな」衛星である月の起源には謎が多いが、慣性モーメントから議論される
中心核の有無はその起源論に重大な制約条件を与える。
 我々は2003年に打ち上げられるSELENE(月探査周回衛星)計画において月周回衛
星の軌道を様々な手法で追尾、月重力場の詳細を調べようとしている。地球上で真
空筒中の落体の加速度を測る「絶対重力計」の我が国での開発の中心が水沢であっ
たが、月の重力計測は落体を月周回衛星に、真空筒を月周辺の空間に置き換えたも
のといえよう。天体の重力場はポテンシャルを球面調和関数に展開したときの係数
として表される。月の重力や他天体の引力に様々な否保存力を含めた力学モデルか
ら数値積分で予測された軌道が、追尾データとなるべく一致するように重力場係数
をパラメータとして最小自乗推定する。我々は米国ゴダード宇宙飛行センターとの
共同研究の一環として軌道解析基本ソフトウェアGEODYN/SOLVEを導入し、それをベ
ースに必要な改造を施しつつ打ち上げに備えている。我々のSELENE計画への取り組
み(RISE計画)の全貌は本トピックス1997年ページに詳しいが、今回は共分散解析
を中心とする数値実験の結果をもとに定量的な議論を行う。
 重力場の微細構造は近寄るほど(衛星が低いほど)良く見えるが、重力計測の障
害となる軌道修正や姿勢制御の頻度が少ないほど良いという側面もある。我々は高
高度ながら軌道制御なしで一年以上周回を続けるリレー衛星と、姿勢制御が頻繁に
行われるが100kmという低い高度を保つ主衛星の追尾データを併用することによっ
てあらゆる波長の重力場を高精度で計測することを計画している。10次以下の低次
の係数について最近の月重力場モデルGLGM2 (Lemoine et al., 1997)の正規誤差と、
リレー衛星を14カ月にわたって2way Doppler観測した場合の正規誤差を比較したも
のを図1に示す。慣性モーメントの決定に重要な2次の項の誤差は一けた程度向上す
ることが予測される。

 SELENE, GLGM-2 formal error

  図1:SELENE計画のリレー衛星の14ヶ月にわたる2 way Doppler観測から
     期待される10次までの低次の月重力場係数(cosine成分)の推定
     精度(左)とGLGM2モデルによるこれらの係数の正規誤差(右)

 地球−衛星間を往復した信号の周波数のずれを見る2way Doppler法によって衛星
の視線方向の速度を秒速1mmより高い精度で計測できる。従来月重力場係数はこのよ
うな観測を月周回衛星について何公転にもわたって行うことによって推定していた。
この方法には月のように公転と自転の周期が一致している場合「裏側」の重力場が
直接観測できないという致命的な欠陥がある。この場合推定された重力場係数の誤
差は互いに大きな相関を持っており、それらをセレノイド(月のジオイド)高の誤
差に伝搬させると図2上のように直接の追尾データが無い月の裏側で誤差が大きく
なる。我々はこのような不均衡を解消するため、リレー衛星による信号の中継によ
る世界初の月裏側の重力場の直接測定を計画している。月の裏側の直接追尾データ
が得られた場合は全球でまんべんなくセレノイド高の誤差が小さくなる(図2下)。
月の裏側と表側はあらゆる点で異なっていることが知られるが、その二分性 (di-
chotomy)の起源から月の歴史を解明するために裏側の重力異常とそこから得られる
地下構造の情報の価値は極めて高い。

  Selenoid hight error

  図2:月重力場係数から求めたセレノイド高の誤差分布。上は衛星が月の
     表側にいるときの追尾データのみによるもの、下はグローバルな
     追尾データに基づくもの。左が月の裏側にあたり、色の濃い部分
     の誤差が大きい

 観測法として特筆すべきなのは相対VLBI観測による視線と直交する面内での衛星
の位置と速度の測定である。通常の測地VLBIで達成される群遅延とその時間変化
(遅延率)の精度はそれぞれ0.1ns,0.1ps/s程度であるが、位相補償相対VLBI法に
よって天空上で近傍にある電波源をVLBI観測した場合これらの計測精度は一けた以
上良くなる。従来の2way Dopplerと測距のデータに相対VLBIによる複数の基線での
遅延と遅延率の観測をあわせると、文字どおり3次元空間における衛星の位置と速
度が瞬時に決定できることになる。2way Doppler観測のみの場合とそれらに相対VLBI
による遅延率観測を併用した場合の軌道推定誤差を比較したものを図3に示す。

       Orbit accuracy

      図3:短いアークにおける2way Dopplerのみの時(黒)と
         相対VLBI併用時(白)の軌道決定精度の比較

相対VLBIの併用によって短アークでも軌道推定精度が劣化しないことがわかる。
SELENE主衛星のように数公転毎に姿勢制御による人為的な加速度が加わる場合、
2way Doppler観測のみでは軌道初期値が収束しないことがある。その場合は重力係
数の決定どころではなくなってしまい、相対VLBIによる軌道要素の素早い決定が重
要な意義を持つ。
 米国によって今年2月に打ち上げられ現在月を周回中のLunar Prospectorによっ
て月の表側の詳細な重力場マッピングが進行中である。しかしここで紹介した三つ
の点はいずれも従来のどの月探査計画にも無いユニークなものであり、リレー衛星
による裏側の重力の直接測定やリレー衛星の長アークによる高精度の低次重力係数
の決定等はいずれもSELENE計画以外では達成できないものである。SELENE計画に続
く月探査計画の内容が関係者によって議論され始めているが、重力計測による月探
査を成功させ、次のターゲットである月面における物理秤動の直接観測(In-situ
Lunar Orientation Measurement, ILOM計画)につなげてゆきたい。
           <日置幸介><日本学術振興会 特別研究員 松本晃治>