地殻ひずみ観測あれこれ
   (神戸を歩きながら考えたこと)

 

 1月17日のその朝、私は、その日東京で開催される小研究会に出席すべく、
徹夜で講演の準備を行っていた。いつもながらの、泥縄式の準備である。朝の新
幹線に乗るまでには、まだ時間があり、2〜3時間の睡眠をとることができた。寝
る前にふとテレビをつけてみたところ、関西地方で大きな地震があったとのニュ
ースが流れている。京都で震度5であったと言っている。そのときは、「京都か
ら研究会に出席する人は、早朝の地震で思わぬ早起きをさせられたな」とか、「
新幹線が止まって研究会に遅れる人も出るかな」ぐらいにしか思わなかった。多
少の睡眠をとったあと、8時ごろになって再びニュースを見ると、神戸で大きな
被害が出ていると報道されている。このときになっても、「震度5ぐらいの揺れ
で被害が出るとういのは、よほど手抜き工事でもあったのだろう」とか、「マス
コミは他社との競争で、小事をややもすると大きく報道しがち」とぐらいにしか
思っていなかった。今から正直に白状すると、このときの私の感想は、あとから
対応の遅れを色々批判されることになった政府の反応と、あまり大差ないもので
あった。
 この日の朝の地震とは、言うまでもなく、平成7年(1995年)兵庫県南部地震
(阪神・淡路大震災)のことである。この地震をきっかけに、日本の地震予知体
制はどうなっているのだとか、そもそも、この地震は予知できなかったのかなど、
色々な議論がなされている。実は、この地域の地震予知に関連した観測について
は、私も多少の縁があった。いや、多少の縁どころか、大いに関係があったと言
うべきかもしれない。それというのも、今から十数年前、まだ私が大学院生のと
き、私はこの地域をフィールドとして地殻変動の観測に手を染めていたのである。
だから、神戸を中心として大きな地震が発生したと聞けば、六甲断層系が活動し
てマグニチュード7クラスの地震が発生し、ただならぬ被害が発生していると、
すぐにひらめくべきであった。多少の言い訳をさせてもらうとすると、最初に接
したニュースで、京都が震度5、大阪が震度4と頭に入っていたため、震源地を
漠然と京都周辺と思っていたのである。このような反応は、一般の人々も同じで
はなかったかと思う。後から指摘されたように、神戸と洲本から情報が入ってこ
ない(通信が途絶えている)ということは、その地域が甚大な被害を受けている
(震度6、事後の調査で、いわゆる震災の帯で震度7を記録)と、思い巡らすべ
きであった。
 学生時代に手がけていた地殻変動の観測というのは、京都大学が六甲山系に設
けていた観測所のひとつ、鶴甲(つるかぶと)観測所における、地殻ひずみと傾斜
観測のことである。この観測所は、六甲断層系のひとつである大月断層をまたい
で設けられており、活断層とみなされている断層の直上で地殻変動を観測すると
いう、ユニークな観測点であった。
 この大月断層を、ちょっと有名する事件が起こったことがある。神戸は土地が
狭いので、山を削り海を埋め立てて、山と海の両方に土地を開くという一石二鳥
の開発が行われていることで有名である。その山を削って造成した土地に、神戸
市が鶴甲団地を建設した。場所は、神戸大学の裏(山側)と思えば良い。この団
地の一部が、断層をまたいで建設されたため、建設後の団地にひび割れが入った
り、道路の舗装に亀裂が入ったりする事件が起こったことがある。20数年前の、
まだ大学に入る前の事件なので記憶にあいまいな点もあるが、山を削って「重し」
が取れたために断層がクリープ(不等沈下?)した例とされている。大学に入っ
てから、まさかその現場周辺をフィールドにするとは思ってもみなかった。後に、
この舗装修理の跡を見せられて、これが断層直上にあたると教えられたことがあ
る。
 このように、神戸は少なからず縁のある地域であり、単なるやじうまではなく、
地震の現場を見ておきたかった。地震発生3カ月後の4月17日と、今年の4月
のはじめに神戸の町の一部を歩いてみる機会があった。最初の機会は、JRが復
旧し東西の交通がやっと確保された時期であった。この時は、梅田(大阪)から阪
神電車に乗り、車中からは高速道路の惨状を眺め、開通区間の終わりの御影駅で
下車。そこからは、徒歩で三宮方面に向かう。歩いていて、何だか平衡感覚がお
かしくなる。それもそのはず、あちこちでビルが傾いており、それを眺めて歩い
ていると、鉛直感覚がおかしくなる。カメラを持ち歩いたが、避難所生活をして
いる人が数万人単位でいるときに、被害調査の隊員でもない者が写真撮影するな
ど、ひんしゅくものと思われた。わずかに撮影できた写真は、中間階の崩壊で有
名になった神戸市役所別館ぐらいのものである。このビルは、今年の4月に訪れ
たときには、崩壊した上層階を撤去して、3階建てに改修されて使われていた。
すぐ隣にある高層ビルの市役所新館は、なんともなかったらしい。わずか数百m
の違いであるが、震災の帯から外れること、あるいは、新築で強度設計に余裕が
あったのか、ともかく無事である。
 三宮周辺から、メリケン波止場へ向かう。ここは、小学校の遠足以来、約30
年ぶりの訪問である。あたりは埋め立てが進んで、波止場ではなく、メリケン広
場と称されている。かつての波止場の上は高速道路やバイパス道が通り、目障り
である。そのバイパス道も、桁が横に1mぐらいはずれており、通行不能になっ
ている。余震でもくれば、桁が落下してこないか心配しながら下を通る。震災後
3カ月目で、町の復旧はまだまだであったが、したたかというか、メリケン広場
からは、神戸港一巡の遊覧船がもう開業していた。
 さて、この地震にともなって、近隣の地殻変動観測施設では、どのような記録
が捕らえられたのか、気になるところである。震央から20kmのところに位置する
京都大学の六甲高雄観測所では、3カ月程前からボアホールひずみ計で観測され
るひずみ変化の傾向に変化があったものの、直前の前兆的変化は認められなかっ
たそうである。前述の鶴甲観測所では、建物よりはずっとデリケートな機器であ
るはずの観測装置は、地震では特に被害は受けず、停電の復帰後は0点の調整だ
けで記録を書いたという。つまり、地震発生の可能性が大いにあると思って、網
をはって観測していた断層は、少なくとも地表では動いていなかったということ
である。自然現象に対する我々の知識が、まだまだ不足ということか。
 神戸の地震の話が長くなってしまったが、触れたかったのは、江刺地球潮汐観
測施設における地殻ひずみ観測の話である。江刺での観測は、その名のとおり潮
汐観測を目的として建設され、これまで、ひずみ潮汐の解析から、流体核の共鳴
現象の解析などが行われてきた。最近になって、ゆっくり地震の発見や、サイス
ミック・カップリングの解明など、潮汐現象以外でも貢献するようになってきた。
(観測記録例としては、たとえば、国立天文台ニュース47巻の日置氏の記事を参
照のこと。)これらの成果は、江刺における観測が、安定でかつ高感度の観測を
維持していることから得られたと言うことができる。
 ひずみ観測に関する最近の話題としては、地震コアモードが、気象庁の地震観
測所(松代)の地殻ひずみ観測から検出されたという。自由振動のコアモードにつ
いては、これまで、重力計による観測からしか捕らえられていなかったが、ひず
み変化でも捕らえられるとなると、地球の内核の観測手段が新たに得られたこと
になる。
 江刺におけるひずみ観測データは、これまでの実績から、まれにみる良品の観
測が行われていることが分かっている。もともと地球潮汐の観測目的に設計され
ているので、サンプリング間隔が1分間隔であるなど、これまで長周期の変動の
みを相手にしてきた。サンプリング間隔を高めれば、自由振動の観測から長周期
地震計としても、十分に通用するはずである。そのためには、テレメータ設備の
更新と、データ収録装置の更新が必要となる。この設備要求は何回か出し続けて
いるが、なかなか認められないでいる。それにも増して、人材確保の方が問題で、
大規模なプロジェクトを進める片手間で江刺を維持していく現状が続けば、せっ
かくの高品質の観測を維持していくのも、ままならなくなる。それと、最近にな
って、国立天文台の地震予知計画への取り組みを見直すという話も取りざたされ
ているらしい。地震予知から撤退すれば、維持費の拠りどころも無くなるわけで、
江刺の今後はどうなるのであろうか。なんだか、継子扱いにされていると思うの
は、天文村に住む地物関係者のひがみであろうか。       <田村良明>