GPSがとらえた水蒸気の動態

 

 GPSは衛星からの電波を使って地球上の位置を高精度で決定する「全球測
位システム」の略称である。最近ではカーナビにも搭載されているのでおなじ
みの方も多いと思う。しかし、このGPSで大気中の水蒸気を測ることが出来
るようなったのをご存知の方はまだ少ないに違いない。これが可能になったの
は2万km上空を飛ぶGPS衛星の軌道を10cm以下の誤差の高精度で決定
できるようになったからである。その結果、それまでノイズであった電波の大
気による遅れ(大気遅延)を位置パラメーター(緯度、経度、高さ)と共に観
測方程式に組み込んで最小二乗法で決めることが出来るようになった。大気遅
延の変動の大半は水蒸気によっているから、結局、大気中の水蒸気量がGPS
で得られることになる。その精度は降水量に換算して2―3mmで、これはラ
ジオゾンデの精度にほぼ匹敵している。我が国のGPS観測網としては国土地
理院の稠密な全国GPS連続観測網があり、現在その観測点数は約800点に
達している。

    Figure 1

       Weather forecast  Scaling for figure 1

図1:1996年9月1日午前9時の天気図と同年9月1日から9月2日にかけての前線通
   過に伴う日本列島上空の大気遅延量(すなわち水蒸気量)の変動(詳細
   は本文参照)。図は4日間の平均値(バイアス)が差し引かれている。こ
   の大気遅延量に0.15を乗じた量が水蒸気可降水量に相当する。

 図1は昨年9月1日から2日にかけて日本列島を南北に縦断する前線が東向
きに通過したときの3時間ごとの天頂方向の大気遅延量の変動を国土地理院の
GPS観測網から求めたもので、その大半は水蒸気量の変動である。図の大気
遅延量の変動の10mmは水蒸気量可降水量の変動の1.5mmに相当してい
る。つまり、この図から水蒸気の塊が日本列島を西から東へゆっくり移動して
いることがわかる。左上の図の9月1日午前9時における天気図を見ると、こ
の水蒸気の移動は前線の通過に伴っていることがよくわかる。前線通過前後の
水蒸気量の変動はおおよそ30mmに達している。一般に1時間あたりの雨量
が30−50mmまた降り始めからの総雨量が100mmになると山岳域では
厳重な警戒が必要になると言われている。こうした図を作ってみると、GPS
から得られた水蒸気情報は集中豪雨の予測に貴重な情報を提供することが容易
にわかる。

    Figure 2

       EOF reduction  Scaling for figure 2

図2:1996年8月1日から8月31日までの3時間毎のデータから6時間毎に間引いて
   示した日本列島上空の大気遅延量(すなわち水蒸気量)の日変化。図は
   平均値(バイアス)が差し引かれている。その他は図1に同じ。下の図
   は3時間毎の大気遅延量の日変化をEOF解析して得られた日本列島上
   空で最も卓越する大気遅延

 図2は同様のGPS観測網から得られた1996年8月における3時間ごと
の大気遅延量の日変化の一部を示したものである。また、右下の図はEOF解
析で取り出された日本列島で最も卓越する水蒸気量の日変化パターンを示した
ものである。この期間、日本列島は太平洋高気圧に覆われて偏西風が弱まる結
果、海陸風・山谷風などの局地循環が卓越することが知られている。この図か
ら、山岳域では、日中から夕方にかけて水蒸気が増加し、夜半から明け方にか
けて乾燥する傾向が顕著に見られる。これらの結果は日ごろ夏山登山に際して
身を持って感じている「午後から雨になり、夜半に晴れる」と言う経験則によ
く一致している。頂上で下界や遠くの峰を眺め、「登ったな」という満足感を
持つためには、日の出前に登りはじめ、昼前には頂上に着かなければならない
ことがこれでおわかりと思う。
 ところで、私は地球規模の変動、特に大気中の二酸化炭素の増加によって引
き起こされる地球温暖化に興味を持っている。地球温暖化に伴い実際に海面が
上昇しているかどうかを測地学的に検証したいと考えていた。そこで、高知大
学時代は、GPS受信機を用いて足摺岬、室戸岬と高知の間の地殻変動の観測
をした。その後、国立天文台に来てからも、修士課程の研究の一部として、G
PS受信機を用いて東北地方の検潮所の上下変動の観測を行った。その結果、
数cmの上下変動が数日で生じていることが分かったが、この大半は水蒸気に
よる遅延で生じた見かけの変動であることがわかった。このように、水蒸気に
よる遅延はGPSで観測点の鉛直変位を推定するときの大きな誤差源(ノイズ)
となっている。
 ところが、図1などから明らかなように、この水蒸気によるノイズは気象学
的には重要なシグナルであることがわかる。国土地理院の稠密なGPS観測網
は今まで他の気象測器では得ることのできなかった高時空間分解能の水蒸気情
報を提供してくれる。地球温暖化は気温を上昇させるばかりでなく大気中の水
蒸気量も増加させるから、GPSによる水蒸気量の観測は地球温暖化の監視の
役割も果たすことが期待される。
 こうしたことから、本年4月より科学技術庁振興調整費に基づく「GPS/
MET Japan」がスタートした。このプロジェクトの主なねらいは、国土地理
院のGPS観測網データから得られる水蒸気情報を気象庁の数値予報システム
に取り入れて集中豪雨などのメソスケール気象の予測精度を向上させる一方、
そうして得られた4次元水蒸気データを国土地理院のGPS定常解析システム
にフィードバックして、水蒸気による測位誤差の除去に利用することにある。
また、この水蒸気情報は日本列島の降水・蒸発・河川流出などの水循環の研究
や植生環境科学・生態学をはじめとした様々な学際分野にも大きな波及効果を
もたらすことが期待されている。ついでにふれると、このGPS気象学プロジ
ェクトは国立天文台水沢が共同利用機関となって最初に主催した9年ほど前の
研究会がそもそもの出発点であったとのことである。
                   <総合研究大学院大学 岩淵哲也>