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企画展「戦後、再び国際事業の中央局へ」が始まりました

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企画展「戦後、再び国際事業の中央局へ」が始まりました。

 

水沢緯度観測所は1922年(大正11年)から1936年(昭和11年)まで木村栄を局長として

国際緯度観測事業の中央局を担当していました。

中央局は世界の観測所をまとめデータを管理解析し結果を世界に公表することが通常業務です。

ところが水沢が中央局になった1922年ごろは観測所が3カ所まで減ってしまった苦しい時期でした。

木村栄は通常業務の他に一度閉鎖した観測所を復活させたり新しく観測所を設置して

最終的に8つの観測所まで増やして観測を充実させました。

 

 

その後、国際緯度観測事業は第二次世界大戦も乗り越え事業は続いていましたが

戦後になると新しい観測装置が次々に登場し組織の再編成の声が大きくなりました。

そして1962年(昭和37年)、国際極運動観測事業が誕生しました。

その中央局として選ばれたのは水沢緯度観測所でした。

選ばれた理由として水沢緯度観測所には優秀なスタッフが数多くいたこと、そして何よりも

一日も休まずに観測を続けてきたことが国際的に評価されたからと初代局長は述べています。

 

戦後、再び国際事業の中央局となった水沢緯度観測所。

1988年(昭和63年)まで続いた中央局の関連資料を展示しています。

これらの資料から木村栄の時代から続いている国際事業の雰囲気を感じ取っていただけたら幸いです。

今年の秋までを予定しています。


 

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