きっかけは五島プラネタリウム

きっかけは五島プラネタリウム

マダム

亀谷さんが天文学者を志したきっかけはありましたか?

亀谷

あります。小学校3年生の6月、父が渋谷にあった五島プラネタリウムへ連れて行ってくれたんです。当時、私は世田谷に住んでいて本物の星空はあまり見えませんでしたが、プラネタリウムで見た満天の夜空はすごかった。感動したなあ。それがきっかけですね。4年生になってからは毎月一人で見に行くようになりました。片道30分くらいバスに乗って、プラネタリウムを見て、またバスで帰ってくる。中学生になってからは星の会にも入りました。

マダム

天文に熱中していたんですね。

亀谷

はい。小学生の時に読んでいた本は天文の本ばかり。百科事典も天文のところだけ手垢で黒くなって(笑)。当時の一般向け天文雑誌はすべて買ってました。天文ガイド、天文と気象(後に月刊天文に改名)の2誌ですね。宝物でした。今でもバインダーに綴じて残してあります。

中学生の頃の亀谷さん
中学生の頃の亀谷さん
亀谷

中1の時に口径10cmの反射望遠鏡を買ってもらいました。ミザールH-100型反射赤道儀です。実は五島プラネタリウムに飾ってあった機種なんですよ。ずーっと欲しいと思っていたから嬉しかったですね。惑星を観察したり、月の写真を撮ったり、天文同好会を作って、星好きの友達と御岳山まで流星群を見に行ったり。まさに天文少年でした。

天文少年が電波天文学者に

亀谷

高校生のときに故・森本雅樹さんが書いた電波天文学の入門書を読んだんです。6m電波望遠鏡の成果や、これから野辺山に45mの電波望遠鏡を作ろうとしていることが書いてあって、これをやったら面白いだろうなあって思ったんですよね。

マダム

それで電波を専門に?

亀谷

実際に専門を決めたのは大学院へ行ってからですが、潜在的には天文学者になりたい気持ちと同時に電波もありうるなと思っていました。

マダム

夢を叶えて電波天文学者になり、現在に至るわけですね。