第19回目の意中の人は
亀谷收さん

きっかけは五島プラネタリウム

マダム

亀谷さんが天文学者を志したきっかけはありましたか?

亀谷

あります。小学校3年生の6月、父が渋谷にあった五島プラネタリウムへ連れて行ってくれたんです。当時、私は世田谷に住んでいて本物の星空はあまり見えませんでしたが、プラネタリウムで見た満天の夜空はすごかった。感動したなあ。それがきっかけですね。4年生になってからは毎月一人で見に行くようになりました。片道30分くらいバスに乗って、プラネタリウムを見て、またバスで帰ってくる。中学生になってからは星の会にも入りました。

マダム

天文に熱中していたんですね。

亀谷

はい。小学生の時に読んでいた本は天文の本ばかり。百科事典も天文のところだけ手垢で黒くなって(笑)。当時の一般向け天文雑誌はすべて買ってました。天文ガイド、天文と気象(後に月刊天文に改名)の2誌ですね。宝物でした。今でもバインダーに綴じて残してあります。

中学生の頃の亀谷さん
中学生の頃の亀谷さん
亀谷

中1の時に口径10cmの反射望遠鏡を買ってもらいました。ミザールH-100型反射赤道儀です。実は五島プラネタリウムに飾ってあった機種なんですよ。ずーっと欲しいと思っていたから嬉しかったですね。惑星を観察したり、月の写真を撮ったり、天文同好会を作って、星好きの友達と御岳山まで流星群を見に行ったり。まさに天文少年でした。

天文少年が電波天文学者に

亀谷

高校生のときに故・森本雅樹さんが書いた電波天文学の入門書を読んだんです。6m電波望遠鏡の成果や、これから野辺山に45mの電波望遠鏡を作ろうとしていることが書いてあって、これをやったら面白いだろうなあって思ったんですよね。

マダム

それで電波を専門に?

亀谷

実際に専門を決めたのは大学院へ行ってからですが、潜在的には天文学者になりたい気持ちと同時に電波もありうるなと思っていました。

マダム

夢を叶えて電波天文学者になり、現在に至るわけですね。

亀谷 收
氏名
亀谷 收 かめや おさむ
出身地
北海道生まれ
紹介

1956年帯広市出身、東京育ち。埼玉大学卒業後、東北大学大学院理学研究科で修士、大質量星形成領域の電波天文学研究で理学博士(1986年)。野辺山宇宙電波観測所研究員等を経て、1990年に国立天文台水沢に採用され、現在、水沢VLBI観測所助教。趣味は、合唱、フルート演奏(上手ではない)など。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)が好き。1993年設立の日本宇宙少年団水沢Z分団の分団長を務めています。

五島プラネタリウム

東京都渋谷区の渋谷駅前、東急文化会館8階にあった天文博物館。2001年3月に閉館した

故・森本雅樹さん

電波天文学者。国内の電波望遠鏡建設に尽力し天文普及にも広く携わった。愛称は「森本おじさん」。おじさんのホームページ

6m電波望遠鏡

世界で2番目に作られたミリ波電波望遠鏡。現在は国立天文台三鷹の見学コース内に展示されている

野辺山45m電波望遠鏡

長野県の野辺山にある世界最大級のミリ波電波望遠鏡。黎明期だった日本の電波天文学を一気に世界レベルまで押し上げた