楕円銀河M87の中心から噴き出すジェットには、約11年周期の歳差運動や約0.9年周期の横方向の揺れといった周期的な動きが、東アジアVLBIネットワークの観測により明らかになっています。工学院大学、国立天文台、文教大学、韓国天文研究院、華中師範大学、名古屋市立大学、慶熙大学の国際研究チームは、これらの動きがM87中心の巨大ブラックホールのまわりを第2のブラックホールが公転していることによると仮定し、その場合に想定される第2のブラックホールの質量を理論的に導き出しました。近年、NANOGrav(ナノグラブ)コラボレーションによる重力波観測により、巨大ブラックホール連星が放つ重力波が宇宙全体に広がる「背景重力波」として検出されている可能性が指摘されており、本研究チームはその理解を深めるためにM87に特に注目しています。今回の成果は、巨大ブラックホール連星の存在を直接検証するための今後の観測戦略にとって重要な指針となるものです。

2023年6月、米国のNANOGravコラボレーションは、15年にわたるパルサータイミングアレイ観測データを解析し、長周期で振動する低周波重力波の存在を示す証拠を発表しました(※ 1)。この重力波は、宇宙のあらゆる方向から届く「背景重力波」であると考えられています。その有力な発生源とされるのが、銀河合体によって形成される巨大ブラックホール連星です。2つの銀河が合体すると、やがてそれぞれの中心にある大質量ブラックホールが接近し、連星系を形成して互いに周回運動を始めます。この時に放出される重力波が背景重力波の主要な構成要素だと考えられています。銀河の合体と進化を扱う理論モデルによれば、巨大ブラックホール連星が地球から近い位置にあるほど、より背景重力波への寄与が大きくなることが示唆されています。
この知見を踏まえ、本研究チームは、地球から比較的近い位置にある楕円銀河 M87(地球から約5500万光年)の中心に潜む巨大ブラックホールに注目しました。M87は、イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)によってブラックホールの「影」が初めて撮影されたことで広く知られています。近年では、東アジアVLBIネットワーク(East Asian VLBI Network: EAVN, 図1)を使った長期観測によるM87ジェットの電波画像データの解析により、M87ジェットの噴出方向が約11年周期で変化する歳差運動が発見されました(https://www.miz.nao.ac.jp/eht-j/c/pr/pr20230928.1.html) (図2)。さらに、EAVNの観測データからは、約 0.9年周期での横方向の振動運動も発見されています。
本研究では、これらの周期運動が、もし巨大ブラックホール連星における公転運動によるものであると仮定した場合に、第2ブラックホールの質量がどの範囲で許容されるかを理論的に導出しました(図3)。解析では、巨大ブラックホール連星は「M87由来の重力波がNANOGravで検出された背景重力波の強度を超えないこと」「ブラックホール同士がまだ合体していないこと」「第1ブラックホールの軌道半径がその重力半径よりも大きいこと」といった条件を満たす必要があると考えました。これらの条件に基づいて計算した結果、第2ブラックホールの質量は、第1ブラックホール質量(太陽質量の約65億倍)に対して、11年の公転周期を仮定した場合で0.7%から4.2% 、0.9年の公転周期の場合で3.7% から100%の範囲となることが分かりました(図4)。この結果は、巨大ブラックホール連星の存在を直接検証するための今後の観測戦略にとって重要な指針となるものです。
本研究をリードした工学院大学の紀基樹客員研究員は
「銀河の合体と進化に関する理論モデルは、近傍に存在する巨大ブラックホール連星が背景重力波に大きく寄与していることを示唆しています。このことが、本研究を進めるきっかけとなりました。今後の観測で、M87ジェットの根元の動きを高解像度で精密に計測することで、巨大ブラックホール連星の存在を直接検証できるかもしれません。」
と語りました。
文教大学の長島雅裕教授は
「銀河の合体と進化の歴史は、ブラックホールの成長と密接に結びついています。したがって、近傍にある巨大ブラックホール M87を詳しく調査することは、宇宙における銀河進化の全体像を理解するための基礎的かつ重要なステップとなります。」
と語りました。
名古屋市立大学の秦和弘准教授は
「 現在、東アジアVLBI ネットワークでは新たに86GHz 帯の開発を精力的に進めています。86GHz帯は、これまでよりもさらに高い透過率と解像度でジェットの根元まで見通せるので、巨大ブラックホール連星系の実在性を検証するうえで本質的な役割を担うことになるでしょう。」
と語りました。
今回の成果は、Kino et al. “Constraining the Mass of a Hypothetical Secondary Black Hole in M87 with the NANOGrav 15 yr Data Set” として、米国の天体物理学専門誌『アストロフィジカル・ジャーナル』に2025年6月5日掲載されました。
図表

【図1】東アジアVLBIネットワーク
東アジアVLBIネットワークは日本・韓国・中国などが協力して、東アジア地域に構築した国際的なVLBI(超長基線電波干渉計)ネットワークです。最長5000kmを超える範囲に配置された複数の電波望遠鏡を連携させることで、巨大ブラックホール天体から放射される電波を高精度で捉え、撮影することが可能となります。(クリックすると拡大表示されます)

【図2】東アジアVLBIネットワークによって撮影されたM87ジェット
(上)EAVN等で撮影したM87ジェットの電波画像の例。矢印はジェットの噴出方向を表しています。(下)2000年から2022年の間に測定されたジェットの噴出方向の時間変化。赤色の曲線は、観測されたジェットの噴出方向の時間変化とよく一致する11年周期の正弦曲線を表しています。

【図3】第2ブラックホールが存在すると仮定した場合の公転運動の概念図
VLBIで観測されているM87ジェットの根本にあるブラックホールが第1ブラックホールに対応します。第1ブラックホールが共通重心の周りを公転運動することによって、M87ジェットが周期的に揺れると考えられます。(クリックすると拡大表示されます)

【図4】M87における仮想的第2ブラックホール質量の許容範囲
青色の線分が、許容される第2ブラックホールの質量と第1ブラックホールの質量比を表しています。灰色で塗られた領域は、巨大ブラックホール連星としての条件を満たさず、除外された領域を示します。
補足(※ 1)
NANOGrav(North American Nanohertz Observatory for Gravitational Waves)は、パルサータイミングアレイを用いてナノヘルツ帯の重力波を検出することを目的とした北米の研究プロジェクトです。低周波重力波を観測し、宇宙の構造や進化の解明を目指しています。パルサータイミングアレイとは、銀河の中に分布する複数のミリ秒パルサーの電波信号の到着時刻を高精度で測定し、時空のわずかなゆらぎから重力波を検出する観測手法で、いわば「銀河サイズの重力波望遠鏡」のようなものです。
論文情報
- タイトル:
Constraining the Mass of a Hypothetical Secondary Black Hole in M87 with the NANOGrav 15 yr Data Set - 著者:
Motoki Kino, Masahiro Nagashima, Hyunwook Ro, Yuzhu Cui, Kazuhiro Hada, and Jongho Park - The Astrophysical Journal (2025) 986 49
- https://iopscience.iop.org/article/10.3847/1538-4357/adceb6
関連するウェブサイト
工学院大学
「“もしも”第2のブラックホールがM87に存在するとしたら?− NANOGrav低周波重力波観測が照らす新たな可能性−」
文教大学
「教育学部 長島教授が取り組む共同研究の成果が発表されました」
名古屋市立大学
「秦准教授の論文が国際学術誌 The Astrophysical Journal に掲載されました」