退職によせて ~ 研究技師 浅利一善

2022-03-16

1977年に当時の緯度観測所に入所以来45年が経過しました.入所から約10年後の1988年に国立天文台への改組,2004年には大学共同利用機関法人へ移行し現在に至りますが,まずは入所当時のことからお話したいと思います.  

当時観測所では数人のグループが観測装置の自動化をめざし,8ビットのマイコンボード(MCS-85)の勉強会を始めていました.私は入所前に,当時一世を風靡した?某社のTK-80キットを購入し組み立ていていたので一緒に勉強する機会を得ました.  

このころの装置のほとんどがトランジスタやロジックICで作られており自動化とは無縁のものでしたが,マイコンボードを使って最初に自動化したのがNNSS(米国海軍の航行衛星システム)のドップラー受信装置でした.

制御は電気的に接続することができないため,手動で行っていたスイッチの切り替えを,電磁石を使ったアクチュエータで切り替える方式にすることでプログラムによる自動化を実現しました.その後のマイコンの性能の向上はめざましく,PC80xxやPC98xxシリーズ,DOS/V機などのディスクトップタイプのPCが世の中に出始めたころには,各PC用のインターフェースカードを自作したり,市販のカードを改造したりして,様々な装置の自動化やデータ収録装置を製作してきました.記憶は曖昧ですが,当時観測所にあったほとんどの観測装置の修理や改造を手がけたと思います.  

現在のRISEプロジェクトへの公式な所属は2006年からですが,1990年代後半から月探査計画(SELENE計画)に参加することになり,主に,レーザー高度計,4Wayドップラー計測(月裏側の重力場計測)など搭載機器の開発に携わりました.  

2003年には臼田宇宙空間観測所に約2週間泊まり込みでの適合性試験,2007年には打ち上げ直前の試験を種子島の宇宙センターで行いました.打ち上げ後は,4Wayドップラー計測の軌道上での検証試験などを行っています.(写真1)

衛星搭載機器を自前で製作することはありませんが,機器の性能試験のための装置や,打ち上げ後の実運用時の地上設備などはほとんど自前で準備し各観測局に配備しました.これらの装置は2009年6月の観測終了まで順調にデータを取り続け,月の裏側の精密な重力マップの作成に微力ながら貢献できたと思っています.  

2011年にはRISEプロジェクトからVERAプロジェクトへ移動しましたが3年後の2014年に再びRISEプロジェクトへ戻り,「はやぶさ2」関連の試験装置の開発に従事しました.その後は,2027年に打ち上げが予定されているDragonfly(土星の衛星タイタンを離着陸探査するミッション)に搭載する地震計回路の試験開発を行ってきましたが,打ち上げを見ること無く定年を迎えることになりました.Dragonflyに関わらず,各プロジェクトの更なる発展を願っています.

写真1

写真1:LALT(レーザー高度計)の試験風景