水沢が常に最先端の計算機を導入していた理由は何でしょうか?
緯度観測所は極運動事業の国際的なセンターをやっていました。各国のデータをまとめて、処理結果をまた世界に発信しなくてはいけないんです。そのためにいろいろな計算処理が必要だったので大型の計算機システムが導入されたと聞いています。
その緯度観測所は1988年に国立天文台へと組織が変わりました。当時はなにかと大変だったそうですね。
すごい。VERAに夢中!で「アテルイ」にお目にかかれるとは感激です!
喜んでいただけて何よりです。こちらは米国クレイ社のXC30といって、天文学専用のスパコンとしては世界最速の演算性能を持っています。スパコンに関しては三鷹のCfCAが対応していますが、設備的な面とネットワーク関係は私どもで対応しています。
石川さんは1973年に当時の文部省緯度観測所(現:水沢観測所)に入所されて以来、ずっと水沢の計算機システムを支えていらっしゃるとお聞きしました。
水沢の方々にとってVERAは光から電波を勉強し直すところからスタートなのですね。
そうですね。この資料にも「勉強会は原則として毎週木曜日、会議室で行う事とする」って書いてありますけど…当時の資料を見ると「ああ勉強したんだ」って思いますね。
1980年頃、光学に替わる電波の観測装置を水沢に導入しようということで電波天文の勉強会がはじまりました。水沢ではけっこう勉強会をしたんですよ。それをもとにVERAの仕様書が作られていったんです。
キター!VERA!!「緯度観測所VERA準備推進委員会1985年」
VERAの一次仕様書です。これを見てもわかるとおり、そもそもVERAって地球回転観測用の装置だったんですよね。
えっ?銀河の立体地図作りじゃないんですか?