第1回 秤動とは何か

月が地球に対しほぼ同じ面(表側)を向けており、月の裏側は地球上からは観察できないことをご存知の方は多いと思います。ただし、厳密には、地球から見た月は天秤が動くようにゆっくりと揺れ動いており、時間の経過とともに月の裏側の一部を地球から観察することができます。この地球上から見た月の揺れ動きは秤動(ひょうどう、英語ではlibrationと言い、ラテン語の天秤(libra)に由来します)と呼ばれます。

月が地球に対して常に同じ面を向けているのは、月が1回転するのに要する時間(自転周期)と、月が地球の周りを一周するのに要する時間(公転周期)が等しいためです。このことを、「(月の)自転と公転が同期している」といいます。同期は、地球と月の場合だけでなく、一般に広く見られる現象です。自転と公転が同期している天体は、基本的には潮汐力によって引き伸ばされた楕円体の長軸方向を中心の天体に向けています。ただし、元々の形状が潮汐力によって引き伸ばされる形状からはずれている場合や、天体の内部に密度の不均一がある場合もあります。その場合は、これらの影響を総合した、エネルギー的に最も有利な(エネルギーの損失が最も少なくなるような)面を中心の天体に向けています。

秤動は、ある天体の周りを周る別の天体(衛星など)の自転と公転が同期している場合に見られる現象で、幾何(光学)秤動と物理秤動の2つがあります。幾何秤動は、ある天体(例えば地球)にいる人から、その周りを公転する同期天体(例えば月)を見た時に観察される見かけ上の振動です。一方、物理秤動は、同期天体そのものが実際に振動している現象です。

図0

 

1. 幾何秤動

幾何秤動には、経度秤動緯度秤動日周秤動の3つがあります。

 

1-1. 経度秤動

天体Aの周りを公転する天体Bを考え、天体Bの自転と公転が同期しているとします。経度秤動は、天体Bの公転軌道が完全な円でなく、楕円である場合に生じます。この場合、天体Bが天体Aを公転する角速度(1秒間に角度にして何度回るか)が周期的に変化します。

図1に示すように、天体Bが天体Aから遠いときは天体Bの公転の角速度は遅く、90度自転する間に、公転軌道を90度進むことができません。一方、天体Bが天体Aに近い場合は公転角速度が速く、天体Bは90度自転する間に公転軌道を90度以上進みます。こうした一連の動きを天体Aにいる人から見ると、天体Bが軌道上で東西方向(経度方向)に揺れる動きが観測され、それによって天体Bの裏側を少しだけ見ることができます。

図1

図1:幾何秤動(経度秤動)の概念図。Bの白い部分が天体の表面、灰色が天体の裏面、オレンジ色が天体Aにいる人から見える面。

 

1-2. 緯度秤動

緯度秤動は、図2のように、天体Bの自転軌道に対して天体Bの公転軌道が傾いている場合に生じます。これを天体Aから見た場合、天体Bが天体Aの周りを一周する間に、天体Bが南北方向(緯度方向)に揺れ動いているように見え、天体Bの北極と南極を少し超えた裏側を見ることができます。

図2

図2:幾何秤動(緯度秤動)の概念図。Bの白い部分が天体の表面、灰色が天体の裏面、オレンジ色が天体Aにいる人から見える面。

 

1-3. 日周秤動

日周秤動は視差とも呼ばれ、天体Aが自転していることにより、時間の経過に伴って天体Aから天体Bをさまざまな角度から観測できることから生じます。図3に示すように、天体Aの☆の位置にいる人が天体Bを観察していると、時間が経つとともに天体Aが自転することによって見ている方向が変わります。その結果、全時間を通して考えれば、東西方向(経度方向)を余分に見ることができます。

図3

図3:幾何秤動(日周秤動)の概念図。Bの白い部分が天体の表面、灰色が天体の裏面、オレンジ色が天体Aの☆の場所にいる人から見える面。

 

2. 物理秤動

物理秤動は、強制秤動自由秤動に分類されます。

 

2-1. 強制秤動

強制秤動は、他の天体からの外力を受けて、天体Bの自転が振動する現象です。

天体Bの公転軌道が楕円である場合、自転の角速度は一定であるのに対し公転の角速度は変化するために、経度方向の幾何秤動が観測されることは1-1で見た通りです。このとき、天体Bの形状や内部密度が自転軸に対して非対称である場合には、同期している天体Bが天体Aに対して常に1つの面(表面)を向けようとする力の方向と、天体Bが自転を続けようとする力の方向に不整合が起こります(図4)。1-1で述べたように、天体Bの位置が天体Aに近いところでは、天体Bの公転角速度は自転角速度よりも速くなり、天体Bの表面は天体Aの方向よりも少し周り足りない状態となります。一方で、天体Aから天体Bが受ける力は、天体Bの正面を天体Aの方向に向けさせようとし、その結果、天体Bの自転を加速させる方向のトルク(ねじりの力)が生じます。逆に、天体Bの位置が天体Aに遠いところでは、天体Bの公転角速度は自転角速度よりも遅くなり、天体Bの表面は天体Aの方向よりも少し余計に周った状態となりますが、天体Aが天体Bの表面を向けさせようとする力により、天体Bの自転を減速させる方向のトルクが生み出されます。この自転の加速と減速は、天体Bが天体Aの周りを公転するごとに周期的に繰り返され、天体Bは経度方向に振動します。

 

図4

図4:物理秤動(強制秤動)の概念図。

ただし、ここで説明したのは強制秤動の非常に単純なケースであり、現実の天体では、状況はもっとずっと複雑になります。例えば天体が層状の構造を持ち、外側と内側で変形のしやすさが異なる場合は、それぞれの層の外力に対する応答のしかたが異なります。その場合、観測される強制秤動を説明するには、双方の層からの影響を考慮しなければなりません。また、例えば天体内部の層が流動している場合にはそれに起因するトルクも生じ、経度方向だけでなく、緯度方向にも強制秤動が引き起こされることが知られています。

 

2-2. 自由秤動

強制秤動が天体Bに(常に)働いている外力によって引き起こされるのに対し、自由秤動はこうした外力の影響とは関係のない、天体Bに固有の自転の振動であり、例えば隕石の天体Bへの衝突のようなイベントがきっかけとなって発生します。自由秤動の振幅や周期は、どのようなイベントであったか(例えば衝突の場合はその大きさや向き)と、天体Bの物性や内部構造によって決まります。自由秤動の振幅は、時間が経つと共に徐々に減衰していきます。

 

ここまでで見てきたように、物理秤動は、天体が受ける外力、天体の内部構造、過去のイベントといったさまざまな要素が複雑に絡み合っている現象であり、観測された物理秤動を説明する全ての要因を特定するのは簡単なことではありません。しかし、逆に言えば、物理秤動には、天体の内部構造やその進化の歴史に関する情報が含まれているということであり、秤動の精密な観測や解析を行うことはそれらを解明する一助となるはずです。実際の天体での秤動観測の方法や、秤動の研究から明らかになったことなどについては、次回以降に詳しく説明します。

 

参考文献:
Lunar Constants and Models Document, JPL D-32296. (2005)
Cebron et al., A & A 539, A78, doi: 10.1051/0004-6361/201117741. (2012)
Makarov et al., MNRAS 456, 665-671, doi: 10.1093/mnras/stv2735. (2016)

(文責:山本)