月の膨張期の内部進化解明に向けて ~月線状重力異常の年代・構成物質の初めての制約~

「月はどんな膨張進化を太古に経験したのか?」

この問いは、月の進化を理解する上で最も欠かせない問いの一つであり、現在月科学において最も盛んに議論されているトピックの一つでもあります。この記事では私が博士課程を通して最も力を入れ、かつ最近出版された論文を解説しつつ、月進化の研究の最前線の一部をお伝えしたいと思います。

といっても、惑星科学者でない限り、「月の膨張」というフレーズは少し馴染みがないと思います。何ならSFチックにも聞こえるかもしれません。まずは月がどんな進化を辿ってきたのか、そこから始めたいと思います(図1)。

 

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図1: 月の内部進化のイメージ図。上段右図の右半分はGRAIL観測による重力偏差マップ。貫入岩体由来の線状重力異常がハイライトされています。

 

月の表面が形成当時にマグマに覆われた状態であったことはご存知でしょうか?太古に地球への原始惑星衝突で生じた破片が集積して月が形成されると、それに伴う熱により岩石は溶け、形成直後の月はマグマの海(マグマオーシャン)に覆われた状態となります。

このマグマオーシャンの冷却とその後の内部進化が月の膨張を語る上で非常に重要です。マグマオーシャンが冷却する過程で、現在のカンラン石や輝石、斜長石といった鉱物が晶出し、月の地殻とマントルができます。地殻とマントルの間にはマグマオーシャンの残液(※1)が存在し、液相濃集元素であるチタンを豊富に含むようになり、最終的に固化するとチタンを含む鉱物であるイルメナイト(※2)に富む層が地殻・マントル間に形成されます。このイルメナイト層で特徴的なのは、その下のマントル物質より重いことです。この上が重くて下が軽いという不安定な状態により、イルメナイト層とマントルがひっくり返る「オーバーターン」と呼ばれる現象が起きます。沈み込んだイルメナイト層にはトリウム等の放射性元素も含まれるため、オーバーターン後にはこの放射壊変熱によりマントルの深部が温められる現象が起きます。この昇温による熱膨張により、月は40億年ほど前に膨張期を経験したと考えられてきました。

実際にこの膨張現象の証拠は、NASAの月探査衛星GRAILで得られたブーゲー重力異常データ(※3)から見つかってきました。「線状重力異常」と呼ばれる無数の細長い正の重力異常が見つかり、地殻内に大規模に貫入したマグマの岩体だと解釈されてきました。膨らんだ餅の表面のように、月が膨張すると月地殻には引っ張る力がかかり、マグマは地殻内に貫入しやすくなります。特に上で書いたような膨張時のマントル深部での昇温に伴うプルームでマグマ活動が引き起こされると(図1)、地殻内に貫入岩体が生じるようになります。このような岩体は周囲の地殻よりも重いため、ブーゲー重力異常マップ上において正の線状重力異常として観測されていると考えられてきました。

では、このような大規模貫入岩体はいつ形成されたのでしょうか?そして、どのような組成をしているのでしょうか?前者は月の膨張時期を制約する情報です。また後者は当時のマグマ源の組成を反映する重要な情報です。しかし、このような貫入岩体は地表まで噴出していないので、リモートセンシングで得られる月の表面のデータだけでは解明できず、これまで理解が進んでいませんでした。

そこで本研究では、線状重力異常と大規模クレーターが重なっている地域に着目しました(図2)。線状重力異常上には特に直径150 km程度のRowlandクレーターとRocheクレーターが存在し、それぞれのクレーター内部で重力の値が小さくなっています。直径からして、これらのクレーターは形成時に地殻を深さ15 km程度まで掘削しているはずです。もし線状重力異常の貫入岩体がこれらのクレーター形成以前に存在し掘削されていたのであれば、貫入岩体の一部がクレーター外部に放出されている可能性があり、更にクレーター内の重力低下も説明できるはずです。したがって、これらのクレーター周囲から掘削・放出された貫入岩体の露頭(※4)が見つかれば、その組成から地下の貫入岩体の組成に制約を与えられます。更にクレーター内での線状重力異常値の低下が貫入岩体の掘削・放出で説明できるのであれば、貫入岩体はクレーターの年代よりも古いということになり、月の膨張年代の制約にも繋がると期待できます。

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図2: 本研究の概要。(左上図)吸収深さマップから輝石を含む露頭が白~黄に見えるように色付けし、飛ばされてきた貫入岩体の可能性がある露頭を調査しました。(下図)RowlandとRocheクレーター周囲における重力異常データと衝突数値計算の比較を示しています

 

上記を踏まえ、本研究ではまず過去の月探査ミッションである「かぐや」や「チャンドラヤーン1号」で得られた月表面の反射スペクトルデータを用い、Rowland/ Rocheクレーター周辺に飛ばされてきた貫入岩体の露頭が存在するかを調査しました。部分的に溶けたマントル物質が固まってできる貫入岩体は、月の海と似て玄武岩質であると考えられ、高カルシウム輝石を多く含むと想定できます。周囲の月の高地物質とは異なる組成なので、そのような輝石の露頭が目立つようにスペクトル特徴を反映したカラー画像を作成して(図2左上図)、そのような露頭が存在するかを調査しました。もしそのような露頭が見つかれば、その鉄・チタン量をスペクトルから推定することができます。更にその上で、見つかった露頭が貫入岩体由来であるかどうか、重力異常データと衝突数値計算を比較して議論します。計算コードiSALE(※5)を用いた貫入岩体の掘削・放出のシミュレーションを行い、計算された衝突後の重力異常が実際のデータを再現しうるか、調査しました。

以上の解析を行ったところ、興味深いことに2つのクレーターRowland とRocheにおいて、異なる結果が得られました。

まずRowlandにおいては貫入岩体由来の露頭が見つからず、更にクレーター内の重力異常値が数値計算では再現できませんでした。観測データにおいてRowlandの縁で線状重力異常は完全に切れています。しかし直径150 km程度のクレーターでは地下の貫入岩体を完全に掘削しきることはできず、貫入岩体の根がクレーター形成後も残り続けるため、完全に切れたような構造は再現できません(図2左下図において矢印で示した部分)。つまり、貫入岩体が元々Rowlandの位置まで続いていたとすると、スペクトル・重力の観測データがどちらも説明できないことになります。

一方、Rocheクレーターの場合は貫入岩体が掘削された形跡が見つかりました。クレーター周囲には玄武岩質の露頭が点在し、更に重力異常データは衝突数値計算でよく再現できます(図2右下図)。つまり、スペクトル・重力データ共にRowlandとは異なり、Rocheクレーターの形成以前から貫入岩体が存在し、それが掘削・放出されたことを示唆します。

では、これらの結果は何を意味するのでしょうか?

一つの解釈は幅広い貫入岩体の年代です。Rocheが貫入岩体を切っていることはこの位置の貫入岩体がRocheクレーターよりも前にできたことを意味します。一方で、Rowlandの貫入岩体はRowland形成以降にできたのかもしれません。勿論、Rowlandの端で貫入岩体が切れていることは貫入岩体の端に偶然Rowlandができた可能性もありますが、そのような確率は低いと考えられます。クレーター形成後に貫入が起きた場合、クレーター周囲の応力場等の影響で貫入方向がクレーターの縁に沿うような方向になりやすい特徴があります。こういったクレーター形成後の影響で、線状重力異常がRowlandクレーターを横切らなかった可能性があります。Roche・Rowlandクレーター共に形成年代は月地質年代のNectarian期(38.5–39.2億年前)に該当するため、貫入岩体の形成がNectarian期の前後に渡る幅広い年代で生じていたことを示唆します。これまでの月の熱進化の数値計算でも示唆されてきたような、Nectarian期以降まで続いた月の膨張期を支持する結果かもしれません。

更に、Rocheが貫入岩体を切っていることから、Roche周辺で見つかった露頭組成が貫入岩体、そして当時のマグマ源の組成を反映する可能性があります。特に今回見つかった露頭はチタンに乏しく、線状重力異常の大規模貫入岩体は低チタン玄武岩と同様の組成であることを示しています。クレーターの規模は小さいですが、同様の解析結果が別の線状重力異常上に存在するEdisonクレーターからも得られました。これらは月膨張期のマグマ源、つまり月上部マントルにはイルメナイトが少なかったことを示唆する地質的証拠であると言えます。

以上の結果は、今後月の熱進化を議論する上で大きな制約となるかもしれません。例えば、これまで数値計算に基づく月の熱進化モデルでは、オーバーターンで沈み込んだイルメナイト含有層が昇温によってマントルプルームとして上部マントルまで上昇するような現象が盛んに議論されてきました。しかし、今回の結果はこのようなイルメナイト層がマントル対流によって運ばれる描像に反するものです。最近の嫦娥ミッションで得られた月の玄武岩サンプルの分析結果からも同様にイルメナイトに乏しいマグマ源が示唆されつつあり、月の内部進化の描像の解明に新たな制約を与えられたと考えられます。

最後に、本研究のような重力異常やスペクトルデータ、そして衝突数値計算といった多角的アプローチを組み合わせた研究が、今後の惑星科学ではより重要になっていくと私は感じています。特に月では各国が競って着陸探査を行う今、月からのサンプル回収とそこから得られる詳細な化学情報が月の進化を解明する鍵を握ります。しかし、着陸探査で得られるのはあくまでその地点のローカルな情報です。だからこそ、リモートセンシングデータを用いてその地点が月全体の何を代表しうるかを考えなければなりません。但し、リモートセンシングデータの解析で見えるのは基本的には表層に限られ、特に内部構造の年代や組成といった、天体の熱進化を語る上で欠かせない情報を得ることは容易ではありません。こういったハードルを超えつつ月や惑星の進化を理解していくために、本研究で行ったように測地データ等の地球物理的な視点を持ちつつ、これからも多角的に惑星地質の研究を進めていきたいと思っています。

 

※研究成果は、Nishiyama et al., “Lunar Low-Titanium Magmatism During Ancient Expansion Inferred From Ejecta Originating From Linear Gravity Anomalies”として2024年10月に国際学術雑誌 Journal of Geophysical Research: Planetsに掲載されました。

※1: マグマが冷えてほとんど固まったとき、最後に残る液体部分を意味します。

※2: チタン鉄鉱とも呼ばれ、鉄とチタンの酸化鉱物で、化学組成はFeTiO3で表される鉱物です。比重は4.7であり、マントル構成鉱物のカンラン石(比重3.2-4.4)や輝石(比重3.2-3.6)よりも重い特徴を持ちます。

※3: 天体では場所ごとに重力が異なり、それぞれの位置での重力値から平均重力を引いたものを重力異常と呼びます。特に地形による重力の効果を補正したものをブーゲー重力異常と呼びます。例えば、正のブーゲー重力異常はその位置での地下物質由来の重力が平均よりも強く、周囲よりも密度の高い地下物質が存在することを示します。

※4: 地質学において、地層や岩石が露出している場所を露頭と呼びます。地層が見える崖などが典型的な露頭ですが、惑星地質学においては比較的新しいクレーターなども風化を受けていない露頭として用いられます。

※5: Impact-SALE (Simplified Arbitrary Lagrangian Eulerian)の略称で、様々な物質で衝撃波を含めた流体計算を行えるコードです。特にクレータ形成に伴う現象を扱う際に、惑星科学コミュニティで広く用いられています。詳細はこちらのリンクへ: https://isale-code.github.io

 

謝辞:iSALE/pySALEplotの開発者であるGareth Collins, Kai Wünnemann, Boris Ivanov, H. Jay Melosh, Dirk Elbeshausenの各氏に感謝致します。本研究における数値計算・解析の一部は国立天文台天文シミュレーションプロジェクトの計算サーバ・解析サーバを用いて行われました。

(文責:学術振興会海外特別研究員 / ドイツ航空宇宙センター客員研究員 西山学)