小惑星でのボール投げ

2022年7月に国立天文台RISE月惑星探査プロジェクトの助教に着任した菊地翔太です。自己紹介を兼ねて、これまで私が進めてきた研究の一部をご紹介したいと思います。

私の専門は天体力学(あるいは軌道力学)と呼ばれる分野で、宇宙空間にある物体の「目に見えない軌道」を計算する学問です。どのような物体の軌道を計算するかというと、天体や塵などの自然物や、人工衛星や探査機などの人工物です。太陽系にある物体は、太陽や惑星とその衛星などの重力の影響を受けて位置が変化します。このような時々刻々の位置変化によって描かれる軌道を計算することが、天体力学の役目です。

実は、この軌道計算は、高校物理の始めの方で習う問題によく似ています。「O君が地面から斜め45°上向きに時速160 kmでボールを投げた。ボールの軌跡を求めよ。」というような問題で、物理を習っていればすぐに解ける方も多いでしょう。天体力学での軌道計算も、やるべきことはボール投げ問題と基本的に同じです。ただし異なるのは、「地面から遠く離れるため重力の強さが変化する」、「地球以外の様々な天体の重力を受ける」などの点です。そのため、天体力学の問題は、一般的にボール投げ問題のようにそのまま手計算で解くことができません。代わりにコンピュータで軌道を計算したり、手計算で軌道を求められるように数学的な簡略化をしたりします。

私が特に研究してきたのは、小惑星の周りでの軌道です。言ってみれば、「小惑星でボールを投げると、どのように動くか」という研究課題です。学問としての天体力学は、高校物理に登場する「ケプラーの法則」で知られるケプラーや、「万有引力の法則」でおなじみのニュートンらが活躍した17世紀ころに端を発しています。天体力学の長い歴史の中で、小惑星周りでの軌道について体系的な研究がされ始めたのは、1990年代から2000年代にかけての比較的最近です。観測技術の進歩によって小惑星が多く見つかるようになり、小惑星を探査する機運が高まっていた時期です。では、なぜ小惑星周りの軌道を特別に研究する必要があるかというと、小惑星の特殊な力学環境に理由があります。

図1
図1: はやぶさ2の小惑星リュウグウ近傍での軌道をシミュレーションした例

地球の近くを周る人工衛星がほぼ一定の円状もしくは楕円状の軌道を描き続けるのに対して、小惑星周りの軌道はすぐに乱れてしまいます(図1)。これは主に2つの要因からです。1つ目の要因には、小惑星の形が関係しています。地球のような大きい天体は、自身の重力によって球に近い形状となっています。一方で、小惑星のような小さい天体は、重力が弱いために球状に形成されず、歪んだ形をしているものも多いです(図2)。天体の形がいびつだと、天体が周囲に及ぼす重力にも偏りが生じ、天体の周りの軌道が乱れるのです。2つ目の要因は、小惑星のように重力が微小な環境では、他の外乱が相対的に強く影響することです。特に影響が大きいのが、物体の表面に太陽光が照射されることで生じる圧力(太陽光圧)です。地球上で私たちの体が受ける太陽光圧の強さは、地球重力の約1億分の1以下と非常に弱いので、普段の生活で太陽光圧を感じることはまずありません [参考文献1]。ところが、小惑星のように重力が弱い天体の周りだと、太陽光圧の影響が相対的に強くなって、物体の軌道を乱してしまいます。実際に、はやぶさ2が滞在していたリュウグウ上空の高度20 kmでは、はやぶさ2が受けるリュウグウの重力と太陽光圧がほぼ同じ強さでした。ちなみに、この太陽光圧による軌道変化を推進力として利用するアイディアがソーラーセイルです。

図2
図2: いびつな形をした小惑星(イトカワ ©︎JAXA)

小惑星近くでの塵や探査機の軌道に関する研究は、小惑星の形成過程を理解したり、小惑星で高度な探査を行ったりする上で不可欠です。例えば、これまでの研究で、「特殊な条件下では、外乱の強い環境下でも小惑星を周回し続けられるような軌道が存在する」ことも分かってきました。小惑星に対する位置や速度の条件を上手く選んだり、探査機のエンジンをほんの少しだけタイミングよく噴射したりすることで、小惑星ならではの個性豊かな周回軌道が得られるのです(図3)。また、小惑星近傍の天体力学についての研究が深宇宙探査に直接役立った例として、はやぶさ2ミッションが挙げられます。はやぶさ2はリュウグウの近くに留まって、様々なミッションをこなしましたが、1つ1つのミッションの目的に応じた軌道を設計する必要がありました。一例が、はやぶさ2が着陸のための目印として投下したターゲットマーカーの軌道です(図4)。リュウグウ重力の偏りや太陽光圧を考慮した精密な軌道計算を行い、ターゲットマーカーをどの位置からどの方向にどの速さで投げれば、目標点に正確に落下するかを明らかにしました。リアル「ボール投げ問題」です。その結果、誤差わずか3.3 mという高い精度でターゲットマーカーを投下することができ、はやぶさ2は着陸に成功しました。天体力学の研究は、はやぶさ2のリュウグウ試料採取にも一役買っているのです。

図3

図3: 小惑星を周回する特殊な軌道の例 [参考文献2]

図4
図4: はやぶさ2ミッションで採用されたターゲットマーカー投下軌道 [参考文献3]

物体の軌道を計算することは、RISE月惑星探査プロジェクトが目指す「天体の内部構造の解明」とも密接にかかわります。天体の内部構造を知るためのひとつの方法は、その天体の重力場を推定する、つまり重力の強さや向きがどこでどのくらいかを推定することです。質量が大きいほど重力が強くなるので、天体の重力場が分かると、天体内部の密度の分布がある程度分かります。例えば、天体の中心近くが詰まっているかどうか、天体にすき間が多いかどうか、などです。では、天体の重力場をどう推定するかというと、重力の影響で変化する宇宙機の軌道から逆算します [参考文献4]。そのため、宇宙機の軌道が分かると、天体の重力場が分かり、そこから天体の内部構造を推定するヒントが得られるのです。

今回ご紹介したような研究は、小型の火星衛星を探査するMMXミッションや、直径わずか数十メートルの小惑星1998 KY26(図5)を探査するはやぶさ2拡張ミッションなど、今後の小天体探査でもますます重要になってきます。宇宙探査ミッションのことを目にした際には、その裏でボール投げ問題を解決すべく活躍している天体力学にも思いをはせてみてください。

図5

 

図5: 小惑星1998 KY26[参考文献5,6]

参考文献1:
「小惑星近傍における探査機の軌道運動」
https://www.isas.jaxa.jp/feature/forefront/200626.html

参考文献2:
S. Kikuchi et al., "Delta-V Assisted Periodic Orbits Around Small Bodies," Journal of Guidance, Control, and Dynamics, 40(1), 2017.
https://doi.org/10.2514/1.G000696

参考文献3:
S. Kikuchi et al., "Hayabusa2 pinpoint touchdown near the artificial crater on Ryugu: Trajectory design and guidance performance," Advances in Space Research, 68(8), 2021.
https://doi.org/10.1016/j.asr.2021.07.031

参考文献4:
「LIDAR測距データ、イメージトラッキングデータを用いたはやぶさ2の軌道推定」
https://www.miz.nao.ac.jp/rise/c/reading/paper-detail-20200706

参考文献5:
S. Kikuchi et al., "Preliminary Design of the Hayabusa2 Extended Mission to the Fast-rotating Asteroid 1998 KY26," 73rd International Astronautical Congress, Paris, France, 2022.

参考文献6:
S.J. Ostro et al., "Radar and optical observations of asteroid 1998 KY26," Science, 285(5427), 1999.

(文責:菊地)