誰もやってないからやる!それが私のこだわりです。
観測屋だって同じだよね。誰も見たことのない天体現象を発見したり、誰も見たことのないものを見ましょうってね。技術屋のこだわりだって同じですよ。
世界で誰も作っていないものを作り続けてご苦労もあったと思いますが、ひとつひとつ作ってきて幸せな思い、たくさんされてますよね。
幸せだね。とくに「ファースト」の時。ファーストフリンジとか、ファースト何々とか、世界で初めてとか日本で最初のとか、全て感動。
太平洋プレートの運動だってさ、局位置が本当に1年で7cm動いたんだよ!本当に地面は動いてるんだよ!それを実感できたおもしろさったらないよ。
1989年にスペースVLBIチームが立ち上がったんです。それで郵政省から「文部省に出向を命ずる」と出向辞令が出ました。片道切符の出向です(笑)。
スペースVLBI(はるか)では、宇宙に電波望遠鏡を打ち上げて、受信してサンプリングして、データを地上におろして、テープに記録するシステムと、三鷹でいまも使っている相関器を作りましたね。
日米VLBI実験では、ハワイと鹿島(茨城県)の間で距離を測ったんです。
83年~87年の実験結果をつなぐと、本当にプレート運動できれいに直線上に動いている。ハワイが日本に近づいてくるんだよ!
だから新婚旅行はしばらく行かない方がいいよ。ハワイなんて将来近くなるから。
あの...それっていつですか?
約1億年後です(笑)。
もう〜!天国から行きますよ(笑)。どれくらいずつ近づいているんですか?
そして1975年に逓信省へ入省されたのですね。
そうです。日本で最初の電波通信をやったところ、逓信省(現在は総務省)の電波研究所に入りました。今で言う国家公務員の1種です。研究所のメンバーは、新しい電波利用の技術を開発したいと誰もが思っていました。いろいろ考えたところ、電波で正確に距離が測れると分かった。そこで、まず私がやらされたのが人間相関器です!
人間相関器?!
川口さんは、天文学者になるまでどのような道のりをたどってこられたのでしょうか。
じつは、いまでも自分を天文学者とは思っていなくて、天文技術屋だと思っているんです。ずーーっと天文観測をするための装置を作ってきました。望遠鏡を作り続けた人生ですね。
観測のための技術開発をする研究者なのですね。
そうです。私のルーツはアマチュア無線。親父が日本電気に勤めていて、お小遣いをもらってラジオや受信機を作ってたね。秋葉原の無線デパートによく連れて行ってもらった。
1977年から37年間、ひたすらVLBIに関連する研究を進めてきました。
観測装置の開発が主で、他の電波天文観測システムにはないVLBIに特有の装置、水素メーザ原子時計や磁気記録装置、相関処理装置の開発を行ってきました。
観測成果では、太平洋プレート運動の検出や世界で初めてのスペースVLBI観測の成功、VERA計画での年周視差計測の成功などが挙げられます。