第2回目の意中の人は
川口則幸さん

VLBI黎明期の先駆的な研究

マダム

そして1975年に逓信省へ入省されたのですね。

川口

そうです。日本で最初の電波通信をやったところ、逓信省(現在は総務省)の電波研究所に入りました。今で言う国家公務員の1種です。研究所のメンバーは、新しい電波利用の技術を開発したいと誰もが思っていました。いろいろ考えたところ、電波で正確に距離が測れると分かった。そこで、まず私がやらされたのが人間相関器です!

マダム

人間相関器?!

川口

そう。いまは機械でやってることを人の手でやったんです。横須賀でとったランダムな1,0,1,0のパターンがダーーーーっとラインプリンターで出てくる。

1と1 合ってます、

0と1 合ってません

というのを先輩が読み上げて、私が手で正の字を書いていく。まさに人間相関器だね。

そうやって鹿島と横須賀のデータを、特別な方法で少しずらしながら足していくんですよ。ずらして足して、ずらして足して...いくと、あるところで、フリンジといって干渉縞=干渉パターンが出るんです。

マダム

で..出たんですね?!

川口

出ました。1977年の4月か5月のことです。それが日本で最初のVLBIです。

川口

実験に成功したので、我々のグループはVLBIをするために、第3研究室として独立したんです。ところが貧乏でね。一方で第2研究室は衛星通信や放送通信をやっていて研究費がふんだんにある。そこで当時の室長が、研究費をもらうために私を手伝いに行かせた。

マダム

要するにアルバイト?

川口

そう(笑)だからVLBIをやりつつ、衛星通信の研究もしました。

1977年に乙女座のクエーサー3C273でフリンジ合成に成功して、1979年からは日米VLBI実験が始まって、実験で使う観測装置は全部私が作ることになった。

アンテナを買うお金なんてないから、いらなくなった古い衛星通信実験用アンテナをもらって、受信機をつけて、観測装置も全部用意して改造したんです。

マダム

いらなくなった実験用アンテナをリサイクル。ペルーの電波望遠鏡プロジェクトと一緒ですね。

(※ペルーの電波望遠鏡プロジェクト:南米ペルーで電話会社から無償で譲り受けたパラボラアンテナを電波望遠鏡に改造し流用する計画。VERAの一員として国立天文台に在籍していたイシツカ・ホセさんを中心に進められている。くわしくは、こちら)

  古いノートをめくりながら
古いノートをめくりながら
川口 則幸
氏名
川口 則幸 かわぐち のりゆき
出身地
岐阜県生まれ
紹介

1977年から37年間、ひたすらVLBIに関連する研究を進めてきました。
観測装置の開発が主で、他の電波天文観測システムにはないVLBIに特有の装置、水素メーザ原子時計や磁気記録装置、相関処理装置の開発を行ってきました。
観測成果では、太平洋プレート運動の検出や世界で初めてのスペースVLBI観測の成功、VERA計画での年周視差計測の成功などが挙げられます。

VLBI

超長基線電波干渉法。超ざっくり説明すると、複数の電波望遠鏡で観測したデータをかけあわせて、ひとつの巨大な電波望遠鏡と同等の性能を得る方法。

逓信省電波物理研究所

現在の情報通信研究機構。

電波物理研究所、情報通信総合研究所と変遷を経て、現在は情報通信研究機構(NICT)