第11回目の意中の人は
石川利昭さん

緯度観測所から国立天文台へ

マダム

水沢が常に最先端の計算機を導入していた理由は何でしょうか?

石川

緯度観測所は極運動事業の国際的なセンターをやっていました。各国のデータをまとめて、処理結果をまた世界に発信しなくてはいけないんです。そのためにいろいろな計算処理が必要だったので大型の計算機システムが導入されたと聞いています。

マダム

その緯度観測所は1988年に国立天文台へと組織が変わりました。当時はなにかと大変だったそうですね。

石川

改組前の1986年まで計算機をやりながら観測もしました。行政改革で新しく人を採れなくなってきたので現有勢力であれもこれも切り回さなきゃいけない。要は人手が少なくなったということで、4台あった光学観測器械のうち眼視天頂儀を担当しました。当時は技術系の観測者も一緒に計算処理をして学会発表もしていました。

マダム

マルチに大活躍ですね。4台の光学観測器械とは?

石川

眼視天頂儀、浮遊天頂儀、写真天頂筒、そしてダンジョンアストロラーブ。これらは緯度39度8分上に並んでいました。

マダム

眼視天頂儀がいちばん古いんですね。

石川

いま現職で眼視天頂儀に携わった人は、もう私だけなのかな。この「緯度観測100年」誌の観測者一覧に名前が載っていますが…

マダム

拝見します。あら!何人か電波天文学者のお名前がありますね。

RISE月探査プロジェクトへ

石川

天文台になって90年代に入ると研究者の間ではUNIXがどんどん使われ出していて、IBMのマシン以降は完全にUNIX系になっていきました。2000年あたりでVERAの予算が決まって建設がはじまります。私は当時RISE月探査プロジェクトに所属していました。2007年の9月に「かぐや」が打ち上がって12月から観測データの取得が始まりました。取得したデータをできるだけ早く解析しないといけないということで、このSGIのマシンは主にRISEのデータ解析用に使われました。

マダム

石川さんは計算機を介して様々なプロジェクトに関わっていらっしゃるのですね。計算機一筋でありつつ多彩な経験をされていて、とても興味深いです。

石川 利昭
氏名
石川 利昭 いしかわ としあき
出身地
岩手県生まれ
紹介

1973年に文部省緯度観測所に研究補助員として入所し、以来40年以上にわたって水沢観測所の計算機システム、ネットワークシステム等の運用・管理を担当しています。最近では天文学専用として世界最速のスーパーコンピュータ「アテルイ」の導入に関わり、高速ネットワーク回線の利用にも携わっています。趣味は音楽。特に洋楽が好きですが、時々謡曲も謡います。

極運動事業の国際的なセンター

緯度観測所は国際共同観測事業の観測局としてだけでなく、万国緯度観測事業 (ILS:International Latitude Service) と、国際極運動観測事業 (IPMS:International Polar Motion Service) という二つの国際事業の中央局としても活躍した。

RISE月探査プロジェクト

現在の国立天文台RISE月惑星探査検討室

RISE = Research of Interior Structure and Evolution of solar system bodies

SGIのマシン

シリコングラフィックス(SGI)社のAitix450を指す。(前頁参照)