第4回 軌道・重力場推定「SELENE(かぐや)」

1.はじめに

今回は、軌道・重力場推定の具体例としてSELENE(かぐや)を取り上げます。SELENEは2007年から2009年にかけて活躍した日本の月周回衛星です。高度約100 kmの円軌道を周回する主衛星と、より高い楕円軌道を周回する2機の子衛星(リレー衛星、VRAD衛星)で構成されていました。SELENEの目的の一つは、月の重力場の精度を改善することでした。当時、RISE月惑星探査プロジェクトは、月の全球地形モデルの開発とともに、この月重力場の改良に取り込んでいました。

連載第3回を思い出してください。軌道とともに調整される加速度モデルには天体の重力場が含まれていました。つまり、月を周回する探査機の追跡データから、月の重力場を推定することができます。ただし、月はいつも同じ面(表側)を地球に向けているため、探査機が月の裏側に隠れている間は地上からの電波が探査機に届かず、追跡データを得ることができません。月の「裏側の重力場」の様子はまだよくわからない・・・これがSELENE以前の状況でした。では、SELENEがこの問題をどのように解決したかを見ていきましょう。

 

2.ドップラー観測

連載第2回において、電波を用いてドップラー周波数を測定すれば、地上局と探査機を結ぶ方向の距離の時間変化率が分かることを説明しました。図1は、2007年12月2日に得られた地上局と主衛星の間の距離の変化率の実観測データです。青い線に注目してください。約2時間毎に約1時間分の観測データが得られています。これは、2-wayドップラー観測と呼ばれ、約2時間かけて月を一周する主衛星が月の表側にいる間に取得された追跡データです。2-wayと呼ぶ理由は、地上局→主衛星→地上局と経路(→)が二つあるからです[1]。地球の自転は月の公転より速いので、日本の地上局から四六時中主衛星を追跡することはできません(月が沈むと追跡できない)。SELENEでは、海外局も利用して、できるだけ多くの2-wayドップラー観測を行っていました。例えば、世界時16:30頃に青線が途切れていますが、ここで追跡局がチリのサンティアゴ局から日本の勝浦局へ切り替わっています。

図1

図1:2007年12月2日に得られたSELENE主衛星のドップラー観測値。距離の変化率に換算したもの。青:2-way ドップラー観測、赤:4-way ドップラー観測。

図1には、赤い線で表された観測データも見えます。時間的に2-wayドップラー観測(青線)の合間にあり、主衛星が月の裏側にいる間、すなわち、本来であればドップラー観測ができない時間帯に得られています。このデータはどのようにして取得されたのでしょうか?図2に種明かしを示します。この観測は、臼田局から送信された電波を、ドップラー信号を中継する機能を持つリレー衛星を経由して主衛星に届けることで得られました。地上局→リレー衛星→主衛星→リレー衛星→地上局と経路が4つあるので4-wayドップラー観測と呼びます。主衛星とリレー衛星は常に軌道運動しているので、幾何学的に4-wayドップラー観測が成立する時間は必ずしも長くはありませんが、チャンスを捉えて少しずつ裏側の観測を積み重ねていきました。

図2

図2:ドップラー観測時の地上局、主衛星、リレー衛星の位置関係。

 

3.重力場推定

連載第3回で、計算値と観測値の差の話がでてきました。この差を残差と呼びます。一般に、観測精度と比べて大きい残差の存在は、計算に用いたモデルの誤差が大きいことを意味します。では、4-wayドップラー観測の残差を見てみましょう。図3に、ある程度観測が蓄積した時点で算出した、月裏側における4-wayドップラーの残差を示します。計算に用いた重力場モデルはSELENE以前に作られた(すなわち裏側で誤差が大きい)LP100Kと呼ばれるモデルです。裏側の深い領域で大きい残差が存在することは一目瞭然です[2]。研究者にとっては、この残差こそが「お宝」であり、その中にはまだ見ぬ真の重力場の情報が含まれるわけです。

図3

図3:月裏側の4-way ドップラー残差の例。経度90°~270°、緯度-90°~90°の範囲が描かれている。

私たちは、できるだけ計算値と観測値が合う(残差が小さくなる)ように、新しい重力場モデルを作りました[3]。図4は、このSELENEデータに基づいたモデル(SGM100h)とSELENE以前のモデル(LP100K)に基づいて重力の強弱を計算し、並べて比較したものです。SELENEによって、世界で初めて、月裏側のクレーターや盆地に対応した(図5)円形の重力の強弱パターンをより鮮明にとらえることができました[4]。

図4

図4:月裏側の重力の強弱の様子。左:SELENE以前のモデル(LP100K)、右:SELENEデータを用いて開発されたモデル(SGM100h)。

図5

図5: 月裏側について、SELENEのレーザ高度計データに基づく地形と、推定された重力場を切り替えて表示したもの。

 

[1] 経路が二つでも、送信局と受信局が異なる場合は3-wayと呼びます。

[2] とはいえ、もともと絶対値で1000 m/sを超える大きさを持つ距離変化率のほとんどは計算で説明できており、残差の大きさは数cm/sです。それでも観測精度(約0.2 mm/s)よりは十分大きく、空間スケールの小さい重力場がまだうまくモデル化されていないことが示唆されます。

[3] まず主衛星の軌道を2日程度の長さに区切って推定し、その結果を集めて重力場を推定します。新しい重力場を使って軌道を推定しなおし、その結果を集めて重力場を推定する、というプロセスを数回繰り返します。4-wayドップラーデータを解析する際は、主衛星とリレー衛星の軌道を同時に推定します。

[4] NASAのGRAILミッションがSELENEの後に打ち上げられ、現在ではさらに空間分解能と精度の高い月重力場モデルが構築されています。

(文責:松本 晃治)